蔵入地の大師堂(永昌町)

 御舘山公園の車道登り口の脇にある大師堂も紹介したい。(03/17/2002)

 諫江八十八ヶ所霊場を定め配置した文政八年。私領外の佐賀藩の直轄支配地(蔵入地)には、配置されることが無かったので、同時期に地域独自に建立された大師がある。この永昌の大師もその一つ。

弘法大師由緒書き写し

 此処の大師堂はもと、旧長崎街道筋(現田浦氏宅)に創建されたもので、昭和48年永昌町地域の都市計画により現在地に移転再建されたものであります。

 この大師の尊像は文政八年酉三月二十一日、今より百五十二年前に福田藤十と言う人の施主により造立されたものであります。藩政時代旧諫早領には、文政年間十二代諫早茂洪(しげひろ)公により、諫江八十八ヶ所霊場が設けられ格調高い弘法大師像が領内各村に祀ってあります。

 当時永昌宿は佐賀藩蔵入地であった関係上、この尊像の創祀は除かれておりますが、この大師像は、これに準ずるものとして、永昌村の人達の協議に福田藤十氏が施主となり発願祀られたものでありましょう。

 仏殿の正面棟木、抱茗荷(だきみょうが)の彫物は創建当時からのもので、佐賀鍋島家の家紋であり、福田藤十氏は、これに関係した由緒正しい係累の人であったと思われます。

 又この大師像は、いわゆる高野像で顔貌端正、豊満、耳朶長く一種独特の貫禄と風格を備えた格調高い尊像であり諫江八十八ヶ所の弘法像にも決してひけをとらない立派な石彫であります。

 

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