めざせ別府八湯カリスマ!別府八湯検定試験傾向と対策(文化)
 第一回検定試験の問題を検討しながら出題の傾向を見ていくことにしよう。出題者にURA初代名人が係る以上は、問題の水準の維持はされるだろうし、別府八湯検定の目的を踏み外した問題は無い物と思える。

 既出問題を基にして関連問題を検討してみよう。

■問4 文化(文学、芸術、スポーツなどを含む)に関する問題である。これに答えてみよう。
1.貝原益軒が別府を訪れて、「豊国紀行」を著した時代はいつか。

@元禄 A文化 B天保 C寛政 D享保

 1694(元禄7)年4月に別府を訪問した貝原益軒はその成果として『豊国紀行』を著し、その中で「民家100軒ばかり、宅中に温泉10ヶ所あり、何れもきよし、庄屋の宅中にあるは殊にいさぎよし」と記し、さらに「町中に川あり、東に流る、この川に温泉湧出す、その下流に里の男女浴す、又海中にも出ず、潮干ぬれば浴する者多し、塩温なれば殊によく病を治すという」と記載している。


2.徳田秋声が別府を舞台に書いた自伝的小説は何か。

@九州の旅 A南北の旅 B南の旅 C西の旅 D東の旅

 1912(大正元)年に徳田秋声が名残橋界隈に滞在し、作品「西の旅」にその体験を執筆。銀座街と楠銀天街を結ぶ流川の両側に料亭・妓楼が建ち並び、川には板の橋をかけて、船で通う遊客を迎えた時代である。


3.菊池幽芳が別府を訪れて、書いた著作は何か。

@別府温泉繁盛記 A別府繁盛記 B温泉繁盛記 C別府訪問記 D別府見聞記

 1908(明治41)年に菊池幽芳が大阪毎日新聞に37回に亘って連載した紀行文。別府のPRの為に油屋熊八翁が招き日名子旅館に半月ほど滞在したという。


4.大正時代に芝居小屋や映画館が発達した松原公園は、何と称されてたか。

@西の道頓堀 A西のミナミ B西の浅草 C西の銀座 D西の新宿

 松原公園には松栄館や世界館という豪華な映画館、芝居小屋の松涛館もあって、常に人通りの絶えない盛り場だったという。朝見川を渡った浜脇も、旅館が軒を並べ入江町や新町といった遊郭街もあったそうだ。


5.大正時代に来別し、別府を賛美した有名な詩を書き残した詩人ポール・クロデールはどこの国の人か。

@ドイツ A米国 Bイギリス Cイタリア Dフランス

 1921(大正10)年から6年間、駐日大使を務めたフランスの外交官であり、詩人のポール・クローデルは大正13年と15年に別府を訪れている。油屋熊八は大正15年にポール・クローデルをその当時大分に2台しかなかったという乗用車で別府の観光案内をした。地獄巡りや少し足を伸ばして湯布院、耶馬渓なども案内したという。


6.吉田鉄郎が設計した建物は何か。

@別府駅 A中央公民館(旧別府市公会堂) B東別府駅 C旧別府市役所 D聴潮閣

 建築家・吉田鉄郎(よしだ てつろう) (1894-1956年)明治27年(1894)5月18日 富山県旧福野町(現在の南砺市)に生まれる。旧姓・五島(ごとう)鉄郎。五人兄弟の三男。

 1919(大正8)年、 東京帝国大学を卒業し、逓信省に入省。学生時代、婚約が成立していた吉田芳枝と結婚し、吉田家の養嫡子となる。

 1928(昭和3)年、別府市公会堂(現・別府市中央公民館)・竣工。
 1928(昭和3)年、別府郵便局電話事務室(現・別府市児童館)・竣工。

 建築物としては下記も押さえておきたい。

 京都大学大学院理学研究科附属地球熱学研究施設本館は、1923(大正12)12月竣工。 設計は京都帝国大学施設部の永瀬狂三。煉瓦造 地上2階半地下1階・棟屋付登録有形文化財登録に1997(平成9)6月12日指定。

 なお、竹瓦温泉、浜田温泉資料館、冨士屋旅館主屋・石垣・石段・前門も登録されている。

 聴潮閣(高橋記念館)も忘れてはならない。1929(昭和4)年、大分県政財界の第一人者であった高橋欽哉が、別府市に住居兼迎賓館として建てた近代和風建築であり、数少ない公開されている建築物である。


7.織田作之助の描いた別府三部作は「湯の町」「恐るべき女」と何か。

@雪の一日 A雪の日 B雪の未明 C雪の夜 D雪の朝

 織田作之助といえば夫婦善哉しか浮かばないが、流川文学の一つとして別府三部作「湯の町」「恐るべき女」「雪の夜」がある。

 流川文学と呼ばれる一連の別府を舞台にした作品群の代表として上げられる織田作之助であるが、前出の徳田秋声(西の旅)や今回は取り上げられなかった奥野他見男(別府夜話)等が上げられる。


8.ビーコンプラザの設計者は誰か。

@黒川紀章 A磯崎新 Bフランク・ロイド・ライト C鬼頭梓 D安藤忠雄


9.毎年ビーコンプラザを拠点に開催される国際的音楽祭の総監督マルタ・アルゲリッチはどこの国の出身か。

@フランス Aイタリア Bアルゼンチン C米国 Dイギリス

 世界的なピアニストであるマルタ・アルゲリッチが1995年から定期的に別府で音楽祭を開いている。


10.故稲尾和久投手が練習したと言われる自宅近くの神社はどこか。

@湊 A波止場 B朝見 C宮地嶽 D住吉

 自宅近くの神社と言われると住吉神社を挙げたくなるが、波止場神社の近くに父親の職場(魚屋・漁師)が有った為か波止場神社で練習していたと伝えられる。

 2007年に竣工した別府市民球場は愛称を「稲尾記念球場」と言い場内には稲尾記念館が有る。球状のフィールド部分全体は半身甲子園球場を参考に設計されており、ファウルエリアの面積や内野の土、外野の天然芝なども甲子園に準じている。なお両翼・中堅の距離は大分県内で唯一、プロ野球規格を満たしている。

 また、野球選手といえば長崎県佐世保市出身の城島健司選手は高校時代を現在の明豊高校(旧別府大学付属高校)に野球留学していた事も覚えておきたい。

inserted by FC2 system