愛宕社の肥前鳥居

 宇都交差点を本諫早駅方向に進むと右手に上山公園の駐車場がある。この駐車場に車を停めたら正面に向かって右手に愛宕社の案内看板がある。(01/19/2003)

 この鳥居の額束は黄檗三筆の一人と称される即非(1616〜71)の揮毫で「愛宕山」と記され第4代領主の「諌早豊前守藤原茂真立」と有る。寛文3(1663)年の建立。

  

 肥前の鳥居は佐賀県を中心に福岡、長崎県の一部に分布するもので木鼻が流線的に伸びていること。笠置と鳥木が一体化していること。笠木・貫・柱が三本継ぎになっている事。貫に楔の無いこと。柱の下部に亀腹を設けず張り出し式の埋け込みになっている。等の特徴をもつもので諫早市には現時点ではこの一基しか残っていない。(諌早神社の肥前の鳥居も水害で消失している)

肥前の鳥居の例を掲載してみよう。

 肥前の国一ノ宮、與止日女神社の肥前の鳥居。柱に『慶長十三歳仲秋吉祥日鍋島信濃守藤原朝臣勝茂』の銘がある。

慶長13(1608)年の建立。

 佐賀県内に分布する肥前鳥居の数は百基余と言われ、うち約二十基が天正から慶長( 1573〜1616)にかけてのものである。肥前鳥居が盛行したのは江戸時代初期頃までで、その後は次第にその数は減少して明神鳥居に移行し、やがてその姿を消していくのである。

05/17/2008更新

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