茶臼山砦跡(西郷町)

 新道から西郷に入って、旧長崎刑務所に登る途中に、山手に登る道がある。(02/26/2002)


(新道弘法山から茶臼山砦跡を望む)

 ここは、中世のころ一つの砦が置かれ、武将達が守りを固めていたところ。すなわち、天正5(1577)年、龍造寺隆信が伊佐早を攻めた時、西郷備前守吉敏なる人物がこの砦にあり、下って天正15年(1587)龍造寺家晴が入部した直後には、その有力武将、喜多安心がこの砦に入っている。

 その後、江戸時代に入り平和な時代が続くようになると、この砦も不要に成ったものか、資料上からも砦としての記述はみあたらない。しかし幕末、異国船の入津など世情騒然となると、ここでは洋式軍隊の調練が行われたり、大砲の鋳造や試射なども行われている。近くに操練場の小字が残っているのも、このあたりの事情を物語っている。

 登り口から、少し上ると「茶臼山弘法大師」の石柱が左手に立っている。石段を上り詰めて左手に曲がると、木々に囲まれて、開けた場所がある。
 入って正面に祀られる、「西郷神」の石の祠。五社大明神を始めとして祠や石仏、石碑が並んでいる。
 右手奥には、大師堂がおかれ、中央には、諫江八十八ヶ所霊場、第三十九番札所、土佐国延光寺の弘法様が、高い台座に座している。

台座にかすかに三十九の文字が読める

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