田結観音寺(飯盛町)

 国道251号線の、清水八幡神社の近くから大門に入って、右手がこの観音寺(02/22/2002)


(古びていても落着きのある本堂)

 バス通りから、入ってくると、この仏様が迎えてくれる。本堂前の書き物で見ると、九州西国霊場の札所になっているようだ、行基菩薩の縁起のあるお寺だと聞いてはいたが、実際に来てみると、なるほどとうなづける。
 本堂前の説明書きを書き写す。

飯盛町指定文化財第5号
           田結観音寺の聖観世音菩薩像

指定の理由

 奈良時代の話として、高僧行基は、九州北部の七ヶ所を訪ね歩き観世音菩薩の木造を七体彫った。その一体と伝えられている。「肥前奇跡集」(佐賀県立図書館蔵書)

 観世音菩薩は阿弥陀如来の付き人で、煩悩の声を見極め救いを求める信心に慈愛を注ぐ菩薩と言われている。

 この像は、高さ1m50cm、クス材を使用した木造りであったが、後に腐食を防ぐため金箔を表面に塗られておる。

 本町の観世音菩薩としては最も古い。

平成3年3月21日 森山町教育委員会

 境内には、西国三十三所観音霊場の観音様が祀られている。これに教育委員会が言及していないのも、以下に記す、弘法様と含めて理解できない。

 諫江八十八ヶ所霊場、第六十六番札所、阿波国、雪辺寺の弘法様が、高い台座に祀られている。

行基菩薩の七観音

 奈良時代の初め、天皇の命により仏教布教のため諸国を廻っているときに、肥後の国宇土郡で橋の袂で苦しんでいた娘を介抱し、村人から大川に架かる橋が、通行人に祟っていると聞いた。村人の話によると、この橋の材料となった大木は、遠く朝鮮半島の百済から大津波により流され、この地で橋にされたという。

 行基菩薩は、「橋というものは人を渡して多くの人を助ける慈悲の心がなければならぬのに、人に祟るとはなにごとぞ、仏に代わって汝を七つに切り海中に投じ流れ着いた所を仏縁の地とし観音を刻んで人々を救う霊場としよう」と言って、錫杖で、はっしと打たれると橋げたは七つに割れて海上を流れていったという。

 行基菩薩は、流れ着いた浦々を廻り、観音を刻んで本尊として霊場を開かれた。その霊場とは下記の通りである。

1)熊本県宇土郡岩戸観音

2)佐賀県藤津郡竹崎観音

3)長崎県南高来郡堂崎観音

4)長崎県北高来郡田結観音

5)長崎県西彼杵郡脇崎観音

6)長崎県佐世保市福石観音

7)長崎県北高来郡和銅寺観音

〜山崎 諭著「諫早街道を訪ねて」の法川山和銅寺の項より概要を収録

04/20/2008更新

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