小野城址(小野町)

 国道57号線、諫早バイパスから、森山方向に進み、小野町に入って、すぐ右手が小野小学校。その裏手にあたる。(02/17/2002)


(長野町から)

 小野小学校の南手、金毘羅岳から延びた丘陵を利用して築城された山城で、本丸、空堀が残っている。西郷氏の一支城として構えられる。「西郷記」には、天正5(1577)年頃の城主を西郷肥前守信尚と記している。また近傍には、城主の居館をしめすと見られる「館」という地名が残っている。

(注)『諌早御家中家系事績・西郷記・雜事之部(目付役留書)』 満井トキ・野中素/校注 諌早郷土史料刊行会が、現時点で簡単に図書館で読むことが出来る。

 小野小学校。右手は宗方神社で、校舎の奥が「館」。校舎後ろの山は金毘羅岳とこの付近は見るべきところが多い。

 小野城址は、この写真で言えば、神社の奥になる。

 学校の先、食堂「桃太呂」さんから、右折して、山川に上がっていく周辺の家々は、武家屋敷ではないのだが、なかなか貫禄がある。

 現在、小野団地から新しい道が出来て、金毘羅岳の霊場には簡単にいけるが、もとは、此処から金毘羅岳に上がっていた。

 途中には、六地蔵が、一体祀られているが、この他には、天満神社に四体、赤崎に一体の、計六体が県指定有形民俗文化財と成っている。

 

fwd-net長崎・諫早

inserted by FC2 system