橋のすぐ上にお住まいの、前川さん(68歳)にうかがうと。この橋は往還であり、琴ノ尾岳の烽火台に、向かう大切な橋だそうで、前川さんの祖父の時代にはすでにあったそうだ。
大村のお殿様は、諫早領を通るのを嫌い、大村湾を渡って伊木力船津の海岸から、この橋を渡り長与・川平経由で長崎に赴いたと言われる。(12/27/2003)
〜県の河川課川内係長の情報で多良見町社会教育課の荒木氏から教えていただいた。
旧多良見町内では、水系は違うが喜々津川に多留角橋(アーチ部は残ったが、側壁部は全て流出)、中橋(橋台冠石を残し流出)、また喜々津川の支流に下釜割橋(全壊)の石造アーチ橋が有ったと言う。
03/29/2008更新
03/22/2008更新