石造アーチ橋を訪ねて

第 152 番 河平橋
長崎市茂木町903〜902-1(川平川)
上流側から
明治41年9月
長さ 5.09m 幅員 5.09m
旧道に架かる河平橋は白い手すりが不似合いだ。

 長崎市内から茂木に向かって走ると、河平バス停の先のスタンドの手前から旧道に左折する。何度か川平川を跨いで走ると、この橋に出会える。

下流側から

掲載の写真は携帯電話SH-52で撮影したものです。

越中先生曰く、「明和6年(1769)、長崎の江波市左衛門(えなみいちざえもん)という人が私費で茂木街道を温石(おんじゃく)で舗装(石畳)。その後、安政5年(1858)、長崎出来鍛冶屋町・武内億助(おくすけ)、東築町・蒲地喜平衛(かまちきへえ)が私費でこの旧道沿いを流れる木場川に柳山石橋(やなぎやまいしばし)を架け、交通の便をはかったそうだ。この石橋、市指定有形文化財に指定されていたのだが、残念ながら昭和57年の長崎大水害の際に流失してしまった」とのこと。

 このお二方は、どちらも長崎の魚屋さんであったそうだ。茂木の魚が毎日ちゃんと届くように私費をはたいたのであろうか。

 上記の解説では柳山石橋は木場川と表記されているが、長崎大学の水害後の調査では、若菜川で市道柳山転石線と表記されている。(長さ9.6m・幅2.5mとある)石橋巡りをしていると、木場川といえば船石町奥のほうで八郎川の支流では無いかと思う。

〜県の河川課川内係長の情報で、土木部総務課で閲覧して確認して訪ねた石橋。

03/29/2008更新

 

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