石造アーチ橋を訪ねて

第 177 番 長崎市船石町の千歳橋と木場橋
長崎市船石町並松
下流側から
明治43年架橋、昭和12年拡幅
長さ 4.0m 幅員 4.4m
数多くの石橋が有った船石地区で57年の水害に残った石橋。

 古賀木場バス停から右手に入ってから更に右手に下る。拱環石もしっかりしている。周辺の風景に溶け込んで美しい。幅員4.4mは広いなぁと思って下を覗きこむと、1.8m程が、同じアーチで拡幅されている。

 近くの木場橋も水害で損傷は受けたものの残っているかも?との情報で近くを歩いたら、こんな所で遭うことが出来た。

手摺だけでも嬉しい田嶋家の邸宅

 木場橋は千歳橋から少し下ったところにある田嶋邸の池の手摺に姿を変えていた。何でも大正3年に田嶋家のご先祖様の顕徳を記念して架橋したのが木場橋であったとかで、水害後の復旧工事の際に田嶋家が手摺部分を譲り受け田嶋倉治翁の100回忌に親族の手で手摺だけが残されたものだそうだ。

 57年の水害時の被害とし木場橋の上流、木場川に架かっていた石造アーチ橋で流出した橋は下流側から、すすき橋(市道中川内線、長さ6m、幅3.6m、単アーチ)・山下橋(市道山口線、長さ4m、幅4m、単アーチ)・山口橋(市道山口線、長さ4m、幅4m、単アーチ)、また更に支流となる二双船川の二双橋(市道曲田線、長さ5.3m、幅3.5m、単アーチ)で有った。

 また木場橋から下流には都通川と名前が変わって千束野橋(市道上戸石千束野線)が現在コンクリート橋として架かっているが水害時半壊し、その後解体した。

 さらに下流で本流の八郎川となって角橋(市道木場線)、鎧橋が石造アーチ橋であった。

05/17/2008更新

03/29/2008更新

03/23/2008更新

 

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