石造アーチ橋を訪ねて

第 206 番 大石天満宮眼鏡橋
伊万里市二里町八谷搦
大正9年
長さ3.3m 幅員1.3m 径間2.5m
親柱には大正9年2月と記されている。

 カーナビの鳥居のマークは分かるのだが、実際の入り口が分からない。境内の周辺を住宅などに囲まれてしまっていた。

 さて、改めて天満宮に参拝しておこう。(01/10/2009)

境内の案内板によれば

 大石天満宮の名称の由来には、二つの仮説がある。一つは、大きな石(岩)があったので、その地形(現状)を名称とした説、もう一つは、伊万里市土井町の薬種商、藤田家が播州赤穂城城代家老、大石良雄の子として生まれながら、生涯を不運で終えた大石良知と天満宮信仰を重ね併せて、自分からの土地に石岡を建立し、その石岡を大石天満宮とした説がある。

 大石天満宮の創建は確証たる資料はなく、神殿の石岡に寛政九年(1797年)一月吉日の筆跡がある。八谷搦干拓築造が完成し、佐賀藩が正式に完成を認めたのが、天明五年(1785年)で石岡の筆跡から推測して、この時期に創建されたものと考えられる。

 祭神は菅原道真。境内には多数の石造物などがある。砂岩で風化が著しく献納年代不明の明神鳥居、大正九年九月(1920年)に八谷搦住人八名によって献納された、神水池に架る太鼓橋、境内の周囲を張りめぐらす石塀が、大正五年六月八谷搦住人吉永儀八氏から献納されている。その他、境内西側隅には、大正元年九月吉永儀八氏奉納の弘法大師像、左右に馬頭観音、十一面観音像が安置されている。その隣に昭和二十一年頃に安置された不動明王を始め十三仏像堂、文化十年寄進の稲荷大明神のほか諸神が安置、境内中央に樹齢一五〇年以上の大銀杏樹左右二株が繁る。また、参道入口には、文化八年(1811年)七月二十五日、隣接している伊万里市搦町から建立奉納された明神鳥居がある。

 平成十四年三月、境内に設置されていた八谷搦公民館の解体により、境内の整備と神殿及び拝殿の補修、神水池改修、天満宮祭礼を行う参集殿を建設し、氏子の心の拠り所として利用されている。

 

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