石造アーチ橋を訪ねて
第 27 番 大手橋
長崎市新大工町入口
2_0522
慶安3(1650)年
長さ12.5m 幅員4.5m(現在は拡幅)
上からは、ここが橋であることさえ忘れてしまいそう。

 寛永6年27歳で渡来した唐通事の高一覧の私財と募った浄財で架橋された。高一覧は後に桶屋町の一覧橋も架橋したという。

 

 親柱が、暫らくは付近にあったが、無くなってしまったと聞いていたが、電車通りの向うの曹洞宗光雲寺の門柱になっていると聞いて見に行ってきた。

 
残念ながら文字は確認できなかった。

 ばってん亀さんのご好意で昭和8年8月12日撮影の大手橋の写真をお借りしました。当サイトでは50%に縮小して掲載しています。

ここでもクリックしていただくと別窓でオリジナルが見れますよ。

 大手橋は昭和7(1932)年ころ、交通に不便ということで、それまでの階段付きの上部を車が通れるように改造されたので、上部がフラットになってガードレールとでも言いたくなるような白い手すりが付いていることがわかる。これまでの大水害でも崩落することもなかったが、昭和57(1982)年の大水害の災害復旧の河川改修工事に伴い、現在の橋の上部は改修されたが、ア-チ部分は建設当時のまま残っている。

03/23/2008更新

 

inserted by FC2 system