石造アーチ橋を訪ねて

第 77 番 清流橋(鬼木橋・第二谷源志橋)
東彼杵郡波佐見町鬼木郷
清流橋
大正末期
長さ 約6m 幅員 約1.5m
川ばかり探して見つけられなかったら、こんなところに移築されていた。

 大正末期、大鬼木川下流(元鬼木公民館前)に田中久太郎氏により築かれていた石橋は幾度の大水害にも耐えていたが平成2(1990)年7月2日発生の大水害による河川の災害復旧工事に伴い解体を余儀なくされ保存されることとなり平成4(1992)年久太郎氏の孫、福島正美氏の手で復元される。欄干、階段の部分は昭和12年久太郎氏の長男、要次郎氏により築かれた湯無田橋の一部であり、鬼木の清流の里のイメージから清流橋と命名。第十二代波佐見町長松尾常盤氏の直筆を福島正美氏が彫刻したものである。

〜鬼木郷説明板から〜

 旧道に架かっていた時は、地元からは鬼木橋と呼ばれ、正式には第二谷源志橋と言ったそうだ。また(第一)谷源志橋は、巨石積みの石橋と一部に紹介されていたが、実際には木橋であって、第二谷源志橋と混同されていたとの事のようです。山口係長自体が石橋にも関心をもっていらっしゃるようで、丁寧に教えていただいた。感謝。

〜波佐見町教育委員会社会教育課山口係長から教えていただいた〜

07/06/2007更新

みさき道人さんのご指摘で03/20/2008訂正

 

inserted by FC2 system