平成12年に復元された鮎帰橋とは

 「東長崎の鮎帰橋が復元されているそうですが」と何度も問い合わせを頂くので、こんな形の復元というものも有るという意味でアップしてみよう。

全景  右下に見えているのが復元された「鮎帰橋」だと聞いて、多少は石橋らしくしているから復元橋だといわれても、いくらなんでもあんまりだろうと思って傍まで行ってみた。

 

 よく見てみると、復元されたのは橋ではなく、花壇の部分に輪石を使って橋を復元したのだった。

 これでは、復元橋ではなくて、廃物利用と言いたくなる。石橋に見せかけた橋には親柱が取り付けられていて、なおさら不自然に感じる。

 長崎大学が実施した昭和57年の水害報告によれば、中尾地区には水害時流出した石造アーチ橋として、朏(みかずき)山橋(中尾川・市道辻田線)が有ったと言う。

 また、近くの現川地区では、同様に谷間の神橋・小藤石橋・現川橋・山川橋が拱頂部流出・全壊流出に有っている。その水害に生き残った橋を、こんな復元をと思うと悲しくなる。

03/29/2008更新

 

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