熊本県肥後の石工の里緑川地区を訪ねて(後編)

 昨夜の観月会を楽しんだ夫婦は午前中を五家荘観光に充て、午後砥用町に下ってきた。この日の計画は雄亀滝橋・馬門橋を見ること。それに食事は昨日パスした霊台橋の袂の石橋の里で昼食を採ることだけを決めている。(09/14/2003)

雄亀滝橋

 国道445号線で砥用町に出て、霊台橋方向に218号線を行き、雄亀滝橋への案内にしたがって右手の県道に入る。やや行くと右手に県橋が見えてきた。橋の長さは5.5mと短いが幅員は4m程もある。

県橋雄亀滝橋の水路が見える阿芹場橋

 岩永三五郎が作った日本最古の用水橋である雄亀滝(おけだけ)橋は、文政15(1818)年に6年の歳月を費やして完成した。いまも静かに水を運び続ける雄亀滝橋を下ったところで、この先に椎葉へ向かう目丸街道に架かる阿芹場橋が有ると言うので行ってみる。幅員こそ1m程だが長さ10m弱のしっかりとした石橋に出会えた。砥用町最奥の石橋とのこと。

内大臣橋食事中に石橋の里の中から

 ここまで入ってきたから、石橋ではないが内大臣橋を見物して「石橋の里」に昼食に向かう。2,000円成りの鰻の定食を頂くがコメント無し。室内からの霊台橋がよかった。

舞鹿野田橋  食後に馬門橋に向かって国道218号線を走っていると、右手に舞鹿野田橋の看板が見えた。

 案内に従って入っていくと、橋長7m程だが、ひどく扁平なアーチ橋に出会う。径間に対して水平の部分が全体の半分強を占める。

 よくこの形状で持っているものだと、感心しながらしばらく眺めていた。

馬門橋  さて、馬門(まかど)橋だが国道218号線に看板は出ているが、谷が深くてやや入り口がわかり辛い。

 文政11(1828)年に備前の石工茂吉と橋本勘五郎が協力して架けたと言う。

 道が判り辛いと不満を言ったように見えるが旧街道の雰囲気が残る周辺環境は石橋とマッチして美しい。

 熊本各地から島原半島に向けてフェリーが有るが、長洲港以外は夕方早くに最終便が出てしまう。どちらにしてもそろそろ帰路に就かないといけないが、最後は二股二橋に行こうと思ったら、案内看板には「二股五橋」と記載してある。

二股二橋

 緑川の支流津留川と釈迦院川の合流点である二股に架かる双子橋は、向かって左が二股福良渡橋で、右が小莚(こむしろ)二股橋という。架橋年も文政13(1830)年と文政12年と相次いで架けられている。

国道に架かる新しい橋と年祢(としね)橋銀杏拾い

 さて五橋だが、二股福良渡橋の向こうに端正なコンクリート橋が架かり車道となっている。また釈迦院川の上流には国道に架かる新しい橋と年祢(としね)橋(橋長60m1924年架橋)が見える。納得。

 そうそう、我が奥方は銀杏拾いに夢中で声を掛けても聞こえぬ風。帰ることを告げて一路天草へと不知火町、三角町と走ったが口之津へのフェリーには間に合わないことが判って宇土市から501号線で長洲港へと向かう。19:05のフェリーに乗って帰路に就いた。 二日間の走行距離612km。

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