石橋が作られなくなった頃のこと

 初期の石造アーチ橋の建設が途絶えて、新たに江戸末期から明治・大正・昭和と新しい技術も踏まえた石造アーチ橋が作られた。しかし、その時代も永くは続かず昭和30年を境に、道路橋はPC橋に変わって行った。

昭和27年架橋の佐賀の鷹の羽橋

 佐世保市内の橋を訪ねた折、オリエンタルコンクリート(現オリエンタル建設)で青年時代からの半生を過ごした方に出会う。私が石橋の写真を撮っていると、ご自身が二十歳の頃に諫早眼鏡橋の解体に携わった事などを、懐かしそうに話されていたが、その際にPC橋の技術が入ってきた頃の話をうかがった。 

 オリエンタルコンクリートといえば、PC(プレストレスト)技術の代表であるフレシネー工法の初期から技術導入を果たした、業界のパイオニア。

 この技術が入ってきたのが1952(昭和27)年の頃という。そしてその後、短期間で高い強度を達成するコンクリートの部材が、橋梁の桁として用いられるようになり、現在では橋梁の60%がフレシネー工法のPC桁橋であるという。

 戦後の復興期、朝鮮戦争特需、列島改造計画と、この国は自分たちの誇るべき遺産を、次々に破壊して、新しいものに作り変えることが良い事だとばかりに生きてきた。そんな風潮の中で、手間の掛かる石造アーチ橋は、新たに架けられることはなくなった。

 コンクリートの橋が悪いとは言わないが、安易に石橋を撤去して架け代える必要があるのだろうか?半生を掛けた仕事に誇りを持っている御仁も、「コンクリートは50年したら強度が落ち始める。石橋は寿命が永いよなぁ」と語られていた。

PC橋梁 SPC工法 鋼トラス桁を埋設したプレストレストコンクリートを場所打ちで施工して、合成構造橋梁を支保工なしで架設します
スリーストランド工法 3本のPC鋼より線を使用し、これを同工法専用のジャッキで3本同時に緊張定着する工法です
フレシネー工法 フレシネー世界機構およびFKKによって研究開発されたコンクリート構造物および部材にプレストレストを導入した工法で、国の内外を問わずPC構造物の60%以上に用いられています。
CCL工法 CCLsystems社(英)で開発され、昭和45年に導入された工法です。くさび式のグリップで定着することを基本としています
SM工法 住友電気工業(株)で開発されたポストテンション工法。
プレストレス用鋼材として、12.4mm〜21.8mmの7本より線および19本より線を使用し、これを同工法専用のジャッキで1本ずつ緊張定着する工法です

機動建設工業様の資料から

inserted by FC2 system