石造アーチ橋以外の石橋たちを訪ねて

第 k-050 番 石田城蹴出門の石橋
五島市池田町
嘉永6(1857)年
長さ m 幅員 m  スパン m

 五島市の池田城の石橋と言えば、この橋が上げられる。本丸眼鏡橋と言っても五島市民でさえ知らない人が多い。かつての池田城の通用門に当たる蹴出門は幾度かの改修は加えられたものの江戸時代最後の城としての風格が有る。

 慶長19(1614)年、江川城(現在の五島第一ホテル周辺)を焼失したため寛永14(1637)年に石田陣屋を藩庁にした。

 盛成は海辺への築城に際し福江川河口に今日でいう灯台にあたる常夜灯「常灯鼻」を弘化3(1846)年に建設した。

 幕末の嘉永2(1849)年、五島盛成の代に築城が認められ、最後の藩主である盛徳の代になった文久3(1863)年ようやく念願であった居城を完成させた。

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、同時期に着手した松前城が僅か5年で完成したのに比べ竣工までに14年の歳月を要したのは、海城の特殊性もあったろうが、松前城は、いわば国家事業として築城されたのに対し、一小藩の事業であったという財政上の理由が大きかったと思える。

 

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