石造アーチ橋以外の石橋たちを訪ねて

第 k-052 番 心字が池の石橋
五島市池田町石田場内石田邸
亀を模した築島
安政五(1858)年に庭園が造られたとあるので、その時の架橋であろう。
長さ m 幅員 m  スパン m

 蹴出門の石橋を渡って石垣に沿って場内に入り左手に門構えが見える。三十代盛成公の隠殿として城内に築かれた石田邸。この邸内に心字が池と呼ばれる林泉式の庭園が有名。

 この庭園は安政五年、京都の僧善章が金閣寺の丸池を模して造られたと言う。(08/07/2008)

 実は昨日も来て見たのだが水曜日は定休日で見ることが出来ず、今日、打ち合わせの合間にやってきた。入園料を払おうと思ったら、どなたも居ない、暫くして庭仕事でもされていた様子の奥さんが来られた。何処と無く品が有るのは五島家の所縁の方か?

 忍び通路を見てから庭園に向う。

 大きな楠木には諫早の者は驚かないが、大谷渡やビロウ等が茂る庭園は趣が違う。正面左手に見えるのが一番上の写真の石橋。なんでも盛成公が亀が好きとかで亀の形を模したという築島。左手の石橋が尾に成って右手の上を向いた石が頭のようだ。

 反時計回りに庭園を廻る。さっそく小さな橋を渡って左手には一番上の築島の対を成す築島がある。ここのも同様の石橋が架かっている。

 母屋の対岸に見えていた石塔は、朝鮮の役の際に第二十代当主純玄公が加藤清正と共に戦った際に持ち帰ったと記されているが、純玄公は文禄の役に小西勢の一番隊に兵700名で参戦し陣中で疱瘡に罹り亡くなって酒樽に浸されて帰国したはずである。この時に持ち帰ったとしても持ち帰ったのは陣中で第二十一代当主となった玄雅公であったはず。

 もしくは慶長の役の出陣の時であったかもしれない。どちらにしても私の見る限り韓国で見かける五重の塔に酷似していることは確かだ。

 もう少し進むと池の排水を行う水路にも橋と言うか暗渠ががある。まぁこれも石橋と言えるかもしれない。その先では最初に紹介した築島に到着する。

毎週水曜日定休日 09:00〜17:00開園
五島市池田町
五島邸
0959-72-3519

昭和41年9月長崎県有形文化財登録(史跡)

 

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