アーチ橋の枠組みの図面が見つかった!

 北有馬町の西平橋の工事を行った際の図面が見つかった。アーチ石を組むための枠組みの図面だ。

西平橋の枠組みの図
(北有馬町西正寺)

鶴田武夫氏の作図
(明治39年5月4日生)

北有馬町西正寺丙3355

 図面の左上には、左記の事が書かれている。この図を作った人は架橋時期(明治30年8月)より後に生まれた人なので、改修時に作成したものか、現在伝えられている架橋時期と石工の方が間違っているのかは不明。
台本桁200φ丸太(松)

桁(松丸太)200φ

 橋の幅が5.0程度であるので、この松丸太の桁は6.0m程度であったのではないだろうか?

 川底に台石を並べ、格子に根太のように台本桁を組んだとすれば14本必要。さらに桁が9本だから、23本の松丸太を使用したことになる。

柱(松丸太)

貫(30*120)

 図面から見ると、ジャングルジムのように柱と貫を組んでいることが判る。また解体時を考慮して楔(くさび)で固定していることもわかる。
敷φ30(松丸太)  環石の下地として、細い松材で屋根を葺くように貼っていたと思われる。

 拱矢3.0m 立ち上がりは1/30の転びで2.0mであり、径間5.68m拱矢比1.89と、やや緩やかなアーチであることがわかる。また明治期では橋の基礎(橋台)はコンクリート製で、2.0*2.0*約6.0mであることも見て取れる。

 

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