早春ウォーキングと史跡をたずねて

 市内に点在する史跡を巡りながら健康作りの一助にしようというイベントが開かれました。
(03/10/2002)

 寒桜が満開の芝生広場に集合。男性陣は私が最年少のようだが、女性陣は二十代から様々な年齢層。こういったイベントに参加すると思うのは、女性の健康や文化に対する関心の高さ。どうも我々男どもは職場人間が多いようで、地域のイベントへの参加が少ない。

 愚痴はさておき、満開の緋寒桜には、メジロが群れて蜜を吸っている。

 メジロが判りますか?動きが速いので私の腕ではなかなか上手く撮らせてくれない。寒桜の蔭で蜜を吸ってる姿をやっと撮れたのが、この写真。

 本日案内をしてくれたのは、郷土史家の夏目孝男氏。軽妙な語り口と、郷土愛があいまって、なかなかの名講師ぶり、聞けば明日も講演会が有るとか。

 準備運動をして、09:15芝生広場をスタート。

【高城神社】 高城神社に到着。目と鼻の先だ。大鳥居に狛犬、大灯篭など、諌早石工の技と伝統について話があり、お手水舎を経て、拝殿では、宗旨は別にして、敬意は払いましょうとお話がある。同感。

 若杉春后翁の顕彰碑では、諌早一揆の解説。次に鶴森稲荷神社の謂れに触れる。以前から疑問に思っていた、拝殿脇の石祠が、本来の建立された祠とわかった。

【眼鏡橋】 集合場所の芝生公園の前の眼鏡橋に戻る。宮崎先生いわく、「諌早の人を他所に案内して、どんな眼鏡橋を見せても無関心。この眼鏡橋をいつも見てれば当たり前」などと、諫早人のプライドをくすぐる。

 勿論、眼鏡橋の奥の、くじら橋の話も土橋多助翁の逸話を交えて話された。今日の参加者の中には、もともとくじら橋が架かってた所を知っているどころか渡った経験のある方までいる。

【諌早神社】 諌早神社では、天然記念物のクス群や昔の四面宮や荘厳寺の話は勿論だが、西南戦争の折の「諌早義挙兵」の話を顕彰碑の前でうかがった。


(顕彰碑の前で)

 諫早神社の拝殿に向かって右側の池では、「水害後の埋め立て復旧で乱暴に埋められてしまって、景観を損ねてしまったが、もとは県内でも五指に入る心字池で有った」とのこと。

【飛び石】 諌早街道(浜街道)の起点の石柱を見た後は、本明川の飛び石を渡って天満町。旧街道に沿って歩いていく。

【蓮光寺】 蓮光寺境内の「けやき」を見る。この木は県の文化財に指定したいと話があったが、文化財に指定されては、枝一本切ることが出来ないので断った話など、文献には載っていない話も楽しい。

【慶巌寺】 慶巌寺の磨崖三十三観音の前で、説明を受けて慶巌寺の石橋をわたる。筝曲六段の逸話や水害慰霊碑、名号石、羅漢堂、等々、見るべきものが多い寺だ。ここには明珍の鎧が保管されていて、見れるのを楽しみにしていたが、本日は法事が入っていて、本堂に入れないので残念。

 慶巌寺の創建にあって、どこに祀られてあるのか知らなかった、慶巌院等の墓の位置がわかっただけでも本日の収穫。いや、磨崖三十三観音に並んで、昭和32年の諌早大水害の水位を記してあるのを今日まで知らなかった。それが判ったのも収穫。

【安勝寺】 慶長19年に諌早二代藩主直孝公のときに建立された古刹である。このお寺の前は、いつも通っているが、あらためて古い写真を見ると、河川改修で、前の道路が2m以上も嵩上げされていて、石垣の殆どが埋まってしまったことに気がつく。


(荘厳寺から遷された像阿弥陀三尊像)

 安勝寺で、以前から見たかった阿弥陀様に出会えた。この阿弥陀三尊像は神仏分離令で荘厳寺が廃寺になるときに、遷された仏像。噂通りに美しい。

【光江・唐津】 光江に入ると急に脇道に入った。ここには稲荷社が建立されている。神社好きの私は、不覚にもこの神社を知らなかった。説明によれば、1778年の創建で、光江の諌早の津で海外貿易の仲買をしていた、生糸割符商人が輸送の道中安全を祈願しての建立とか。近い内に再訪して、「神社に行こう」に加えよう。

 唐津に渡って、鯨塔の話を聞く。この諌早の津は、諌早の重要な港であったので、仲沖番所が置かれていたとのことで、本明川沿いの番所跡の石柱まで歩く。

【西国三十三所観音と諫江八十八ヶ所霊場の弘法】 番所から町中に戻って、仲沖の公民館まで行く。この敷地内には石仏などが多いが、文化二年に配された西国三十三ヶ所観音の二十二番?と諫江八十八ヶ所霊場四十四番札所の説明があった。

【仲沖茶屋跡】 公民館からもう一度内側の道に戻って、仲沖の茶屋跡に行く。ここは殿様が諌早の津から出港する際、風待ち潮待ちに使った茶屋とのこと。

 生垣の竹は矢竹、石垣も民家とは違い、亀の子くずしの立派な石垣。やはり御茶屋は殿様専用、つくりが違う。

中央ふれあい広場】 11:55到着。ここで持参のお弁当を頂く。普段は弁当を持って何処かに行くことがないので、朝から家内が作ってくれた弁当を開くのが楽しい。

 周りを見ると、思いおもいの場所で、参加者は弁当を開いている。適当な運動の後の屋外での食事が不味かろう訳がない。皆楽しそうにパクついている。

 12:45の出発の際、遠くに見える仲沖城址や底樋の説明を受けて出発。

【勢屯の辻】 倉屋敷川で、もう一つの西国三十三所観音に寄ってから、アエル商店街の方に行く。着いたところは、市民センター前。今日は中央公民館祭りの日にあたっていたので、入口の前ではウドンやぜんざいの出店が出ている。宮崎氏の指示で足元を見ると。「勢屯・・・・」記された敷石がある。参加者の殆どが始めて気がついた様子。そうそう、勢屯は「せいだもり」と読む。

 勢屯の辻は、軍勢が集合するところだそうだ。諌早一揆の時もここで気勢を上げて、佐賀に向かったと言う。宮崎氏が指差しているのが、高級武士の屋敷が並んでいた小路。日ごろ見慣れた街角で、今まで知らなかった事に触れるのが楽しい。

【土橋多助翁顕彰碑】 市民センター隣の諫早市役所前では、くじら橋で紹介した土橋多助翁の顕彰碑を見る。諌早図書館からNTTの方に曲がり、道路を渡って島鉄の踏切を渡る。ここから諌早郷土館の脇を通って天祐寺に向かう道は、諌早藩主が菩提寺天祐寺に向かう殿様道。昔から現在の道幅があった事などを聞きながらの散策。

【諌早郷土館】 昭和32年の水害後、諌早家が移った屋敷を市に寄付して郷土館としたもの。なんども通ったここも、解説を受けながら見るとまた楽しい。

【天祐寺】 天祐寺の境内に入る。背くらべ地蔵の下を通って、島原の乱戦没者追悼碑の話を聞く、山門をくぐり本堂や回廊の説明を受けて、諌早家墓所に入る。境内に四基ある六地蔵にも久しぶりに会えた。境内裏手から上山公園に出る。こんな裏道があるなんて知らなかった。

【肥前鳥居】 上山公園の右手にある愛宕社の一の鳥居が、市内には一基しか残っていない肥前型の鳥居。上山公園ではコリー犬のイベントが開かれている。いい季節になって、いろいろなイベントがあってスケジュールが重なるのが辛い。

雪山和尚の逆さ松】 公園を出て、宇都交差点の方に歩く、雪山和尚の話を聞くためだ。昔、天祐寺に雪山という僧がおり、大変美男で評判で、領主の内儀に恋慕されたが、間違いを犯すことなくいたが、内儀が相手にされないことを恨み讒言して、雪山は死刑に成った。このとき憤った雪山が、死して白い血が流れ逆さに挿した松の小枝が根付いたら無実の証明と言ったという。

 これがその通りになったので、雪山の疑いは晴れ、後に祀られた。その地は、諫江八十八ヶ所霊場一番札所の愛宕山墓地。

【城山】 最後は諫早公園の高城の頂上に登る。久しぶりに大クスに会えた。この地は城山暖地性樹叢の国の天然記念物の指定を受けた小山。


(オガタマの花)

  山頂の広場の降り口脇に、ちょうどオガタマの花が咲いていた。このまま山を降りてゴールの芝生広場でゼッケンを返して、参加記念のタオルを貰う。整理体操をして解散。15:45だった。

 早春の諌早の街の史跡巡りは、心地よい汗と新しい発見の満足感で終えた。また、こんな機会があったら参加したい。

<メモ>

開催日:3月10日(日) 雨天中止
コース:諫早公園をスタートし、市内に点在する旧跡を訪ねます。
距 離:8km〜10km(約4時間)
集合場所:諫早公園前芝生広場
時 間:午前9時受付 
講 師:夏目 孝男先生(郷土史研究家)
申込方法:当日受付
持参品:お弁当
<お問い合わせ>
諫早市健康福祉センター TEL0957-27-0700

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