島原温泉不知火まつり市中パレード(島原第二小学校)
大きな団体がやってきました。「島二小ガンバル子」の大きな横断幕の後ろには・・。(10/13/2002)
大きなガンバ(ふぐ)の山車が並んでやってきます。
不知火太鼓保存会として太鼓がやってきました。
しまばら温泉不知火まつりのHPに不知火太鼓の由来が書かれていますので引用してみます。
今から二百年前の寛政四年、雲仙岳の噴火により眉山の一角が崩壊流水があふれ島原地方は南北十七ヵ村にわたり一万人の死者が出た。
また、津波のため対岸の肥後(熊本)地方も死者五千人という被害を受けた。いわゆる「島原大変肥後迷惑」であった。
翌、寛政五年不知火燃ゆる八月一日(旧暦)の夜、前年の大惨事で肉親や多くの知人、友人を失った若者たちが二度と再び山の神々の怒りにふれ、噴火が起きることのないようにと祈りを込めて、力強く打ち鳴らした太鼓が不知火太鼓である。