愛宕社と肥前鳥居

 宇都交差点を、本諫早駅方向に進むと、右手に、上山公園の駐車場がある。この駐車場に車を停めたら、正面に向かって、右手に、愛宕社の案内看板がある。
(12/05/2001)

 肥前鳥居。上部の両端が、流線型に成っていて、優美な趣のある、この鳥居は、市内では、あまり見ることのない形状である。

 この鳥居を建立したのは、17世紀中期の諫早家四代目領主「諫早豊前守藤原茂真」と記載されている。

 そういえば、愛宕社の石扉の表には、昇藤の紋が、刻まれている。

 肥前の鳥居をくぐると、真っ直ぐに伸びた、石段が見える。わずか、150m程の長さであるが、真っ直ぐに見渡せるので、けっこう圧迫感がある。段数は、私が数えた限りでは264段あった。

 とても、一息では昇れない。

 なんとか、昇りきると、石造りの、愛宕社宝殿と、向き合う。愛宕社は西郷弾正少弼によって、奉祀された。

祭神
愛宕権現

縁起
永禄6年(1563)、西郷純堯によって奉祀されたのが始まりである。愛宕信仰は、中世期には武の神として、また近世期には鎮火、防火の神として広く信仰された。この宝殿が石造りとなったのは、享和元年(1801)のことで、それ以前は木造りであった。 

 愛宕社宝殿に向かって、左側に建立される三重塔は、亨保16年(1731)に建立された。仁王経は護国の経典として尊重され国家安泰、五穀豊穣を祈念して建立された。 (市指定有形文化財・建造物)

<メモ>

肥前鳥居の特徴

肥前の鳥居は佐賀県を中心に、福岡、長崎県の一部に分布するもので、木鼻が流線的に伸びていること、笠置と鳥木が一体化していること、笠木・貫・柱が三本継ぎになっている事などの特徴をもつもので、諫早市には、あまり見かけない。

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