高天神社

 諫早市内から、高来町に向かって、207号線を走る。やがてAコープ白浜店の、手前から左手に戻って来ると、この「高天神社」に出会える。(12/05/2001)

Mapion

 一の鳥居から、遠くに見える二の鳥居までの間に、JR長崎本線が、横切っている。二の鳥居には、高皇産霊神社とあり、祭神をあらわしている。SF好きには、ちょっと意味ありの名前なんですが、わかります?

 ヒントは、半村良の「・・・山秘録」とか・・

 東長田村大戸尾の塩屋崎(北高来郡高来町深海)に祭られていたが、寛丈5年(1665年)東長田の産土(うぶすな)神として現在地に遷座された。

【祭神】 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
天照大神のほか、相殿に六座。

 天明6年(1786年)神殿を改築したが、さらに200年経って老朽化したため、昭和57年(1982年)7町の氏子が2350万円の浄財を出し、総ヒノキ造り132平方メートルの神殿を再建した。

例祭
元旦祭り
おくんち(10月第二日曜日)

 この辺りの小字を尾首(おくび)といい、元々は海に突き出た半島で、現在の田畑も、JRの線路も、海の中にあったようです。(長田地区ふるさと物語:長田芦笛会著)

 1610年頃、当時の東長田村大戸尾(現在の諫早市高来町深海)の海辺の巨石(現存する)に、霊験あらたかな御神鏡が浮かび上がり、高皇産霊神と記されていたことから、諫早藩主(当時は西郷氏の時代だから伊佐早とすべきではないか)に守護され、この地を高天宮とかまえて奉祀された。神社の屋根瓦には、諫早藩(領)の御紋(昇り藤)が刻まれている。また、天照大神は皇祖神として合祀されたものと思われる。

 以降、東長田村の総鎮守として、土地守護、五穀豊穣、家内安全、無病息災、厄除けを司る神社として祀られている。また、高天神社の「高天」は、高皇産霊神が住まわれる、天津国の高天原によるものと思われる。(神社由来書きより)

05/10/2008更新

04/26/2008更新

 

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