八幡神社(長野町)

 諫早バイパスを、小野町方向に走ると、右手にOKホームセンターがある。その裏手の山の中腹に、八幡神社がある。(01/15/2002)


(拝殿の中の神額と幕)

 長野町の、この山は僅か100mに満たないのだが、この鳥居の辺りから上は、遮るものがないので、市の南部や諫早湾を眺めることが出来る。昔この山には、砦があったとの話もうなづける。

 鳥居には、天保12(1841)年の年号と長野村の庄屋、横目の文字が読み取れる。

祭神
応神天皇

 社殿は、平成2年5月に再建されたもの、拝殿前の燈篭には、昭和14年、台湾高雄湊町の文字が読み取れる。

 拝殿左手の、少しはなれたところに、安政2(1855)年建立の若王権現が祀られている。

<神紋・社紋>

 近隣の八幡様の紋は、私の知る限り、三つ巴紋か、まれに菊のご紋を使っていますが、祭神が応神天皇ですから、何の不思議もありません。しかし、こちらでは、違い矢の紋が使われています。

 この紋は、平入りの拝殿から出た、庇の鼻についている紋です。紺の幔幕も同じ紋でした。宗像氏関係なら柏紋だし、長野氏の家紋は不明。また課題が増えた。

<メモ>

 神社のある水葉山には、宗像氏もしくは、長野氏の居城が、有ったと言われる。実際に山に入ってみたが、明確な遺構は見当たらない。しかし、応安の頃というから、1300年代後半の頃の遺構が、そうそう素人の目で判る物ではないだろう。

 神社の紹介でも書いたが、展望もよく戦略上の要所であるから、ここに出城や、砦が置かれても、なんの不思議も無い。

<諫江八十八ヶ所霊場>

Mapion

 神社に向かって右手に、大師堂があった。文政8年の資料で、長野八幡宮に配したとあるので、この弘法様は、この丘から、諫早の移り変わりを見ていたのだろう。

 よく見ると、本来弘法様が座していた、高い台座は、線香立てに使われて、手前に据えられている。見ようによっては、これが本来の姿のようにも見える。 第四十六番札所 伊予国 浄瑠璃寺

 

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