七嶽神社(五島市玉之浦町)

 荒川温泉から高浜に向って右側に案内看板があり、川沿いに2kmほど入る。(06/04/2008)

 玉之浦観光協会の案内によると、七嶽神社は元々、七嶽権現と呼ばれ8百年程の昔、源平の乱の後、能登守教經卿と七名の郎党が落ちてきて七嶽山麓で自決した。

 この地の住民は御霊を七嶽権現と称へ氏神として祀った。世の人に霊験著しい事が知られ十一面観音を祀り祠を建て、経津主命、武甕槌命と唱えた。

 五島盛利公(第22代、寛永年間)の時代に宝殿建立、明治の神仏分離の際に十一面観音を取り除き、明治七年秋、五島盛成公(五島氏第30代当主。福江藩としては第10代)が宝殿を再建、備前次光の剣、金50枚の折紙付を御神体として奉納。その宝剣を経津主命、武甕槌命として崇め、五島家の家運長久、氏子の弥益繁栄、五穀豊穣を祈った。

 先の大戦では殊に二柱の神に武運長久を祈る参詣で島内外の御崇敬も篤かった。昭和55年1月の怪火により神殿は焼失したが氏子崇敬者が、その神慮を恐み逸早く再建に立ち上がり八百米下の新境内地に再建なった。

【御祭神】 経津主命、武甕槌命

 

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