天満神社(小野島)

 長田から不知火橋を越えて、干拓の里の先を右折したら、右手に天満宮があります。
(01/12/2002)

 小野町の天満神社を、この地に勧請して、小野島の鎮守としたそうです。地元では、いわれは不明ですが、「じゅうごさん」と、呼ばれているそうです。(よかまちネット21のTETSUさんに、教えてもらいました)

 境内には、干拓地には、何処の地区でも、祀ってある、八大龍王が、やはり祀ってありました。

 すっきりとした、拝殿です。右手の奥に、石仏、龍王等が祀られています。

祭神:菅原道真公

 半造川底井樋廻水の碑が建っています。文化10(1813)年に完成した、半造川底井樋に関する碑です。

 小野島は、干拓地ですが、当時は水田を作るには、用水が不足して、畑地として耕作していたのですが、本明川の支流半造川の対岸、輪内名田井原(現在の仲沖町)では、山下淵から取水した水が、有り

余って、放水していました。この水を、川底を通過させる、逆サイホン原理の樋を、計画したのが、青木弥惣右衛門です。この計画書を総百姓庄屋が、諫早家に嘆願書を出し、藩は経費と用材を認めました。許可が下りると、青木弥惣右衛門の指揮の元、小野島の農民等が、工事にあたり、その年の、田植えに間に合わせたそうです。

 現在、現物は残っていませんが、感謝の印として、平成12年に、この碑が建設されました。

 拝殿の前の燈篭には、昭和12年8月建立、小野村、徳永寅作78才と、刻まれています。

<じゅうごさん?>

 長田の、お年寄りに聞きますと、「竜神さん」を、竜宮さんとも言い、「じゅうごさん」と、呼んでいたそうです。柳川では、竜宮神社を、じゅうごさんと呼びます。干拓地の、小野島ですから、八大龍王様に視点があって、じゅうごさんと呼ばれていたのではないでしょうか?

 もしかすると、小野本村の天神様を勧請する前から、ここには、八大龍王が祀られていたのかも知れません。 (愚考?)

 

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