温泉神社(小浜町雲仙)

 雲仙の温泉街を歩いていれば、すぐに出会う温泉神社。昔は、温泉にあるから「温泉神社」かなと、そんな風に思っただけでした。神社に行って、案内板があると、すぐに見に行く人間なんですが、そのような案内板も設置されてなかったので、随分長いこと知らずにいました。


文政10年建立の一の鳥居の額束「四面社」とある

 国魂神社とあります。明治の神仏分離政策時代に、社名が変わったといいます。

 元々は、四面宮であり、温泉(うんぜん)神社です。この雲仙の地も、元々は、単に「温泉」と書き表して、「うんぜん」と読んだと、ビジターセンターに記載されていました。

 国立公園に指定された頃に、雲仙の名前に改めたそうです。

 久しぶりに来て見ると、社殿の前の松の木がなくなっています。

<メモ>
祭神:白日別命、速日別命、豊久士比泥別命、建日別命

祭日(秋期祭、9月27日より29日)

 弘安4(1281)年、博多に蒙古襲来の時、身一つに面四つの勇士が現れ、敵を倒しました。名を尋ねると肥前の国温泉山の者だ。と言い残し立ち去りました。その後に、この勇士を褒章しようと訪ねたら、村人が「この神様は一体四面の神で・・」と、応えたとある。この伝説を、「元寇の役温泉山神出現伝説」という。

 雲仙の、姿を見ていると、そんな強い神様が住んでいそうな、雰囲気は有りますよね。

 諫早の「諫早神社」も、元はここの末社でした。

境内を少し回ってみますか?

<メモ>

島原半島の山岳信仰による四面宮信仰

 雲仙温泉神社は、雲仙岳(温泉山)を信仰の対象にする山岳信仰の拠点であったと考えられ、その信仰は島原半島にくまなく伝播していたもので、島原半島特有の四面信仰であった。

 山岳信仰に詳しい根井浄氏は、その著「修験道とキリシタン」のなかで、「大宰管内誌」は、温泉山(雲仙)の四面宮について、「此所に島原惣鎮守の神あり。四面宮といふ。(中略)此所に社人なし。皆山伏なり」と記してあることから、山伏によって奉祀されていたことを伝えていると述べられている。(林田秀晴氏著:島原半島の神社を訪ねてより引用)

 確かに、島原半島の温泉神社における、四面宮信仰は、この地に特有と思える。対岸の熊本にも、同名の神社は有るが、祭神が違う。島原半島に数多くある、温泉神社は、その全てが、雲仙温泉神社の末社であり、この温泉神社が総本宮である。

小地獄バス停側の一の鳥居跡。かつてここから先は女人禁制であった。

なぜ式内社になっていないのか

 雲仙温泉神社は、その創建から、長崎県で最古の神社と思えるが、なぜ式内社になっていないのかと思っていた。最近調べたところによると、式内社には、寺院の配下にあるものや、山伏により祀られているものは、記載されていないそうだ。

創建

 四面宮の総本宮である、温泉神社の創建された年代は、歴代鎮西要略に「大宝元年辛丑、肥州高来郡温泉神垂跡」と、記載されていることから、大宝元(701)年とされている。

社名について

 神社由緒記によれば、上古は「温泉神」と称し、中古は「四面宮」であった。明治二年神社改正時に「筑紫国魂神社」とし、大正四年県社の際、「温泉神社」に戻した。

inserted by FC2 system