大歳神社

 国道207号線を、高来町に向かって、長田交差点の先を左折。旧多良街道沿いに入る。(12/15/2001)

 佐賀藩の支領であった、諫早と佐賀の間の往来は、船が中心と言いながら、多良(諫早)街道といわれる、往還が有った。ここは、その往還の籠立場(休息場所)の一つ。

 この地に1800年頃(江戸末期)、長田村の庄屋が、夢枕に立った、大歳神に畏怖、感謝して建立したと言われる。

 領主が政治的に祀ったものでなく、庄屋とは言え、個人が創建した神社が、その後も土地の人達に、祀られているのも珍しい。

<メモ>

祭神:大歳神(須佐男尊の子、五穀豊穣を司る)

諫早市長田町332番地
現在の社殿は、昭和56年9月改築

師走(12月)の丑の日として、第一日曜に「丑の日くんち」として、祭祀している。

 なかなかの狛犬です。この大歳神社には、神社の要素が沢山あって楽しい。

 昭和十五年十月に奉納されたものです。

緒方甚太夫   緒方常五郎

 三方で支えられた、丸い石があります。力石とか、差石とか呼ばれる石です。これはそのうち、差石と呼ばれる、頭の上まで差し上げて見せる、力自慢の石です。以前は、あちこちの神社で見かけたのですが、この頃みませんね。

 ちょっと、大きく掲載するのは、自信が無くなりますので、このくらいにしておきます。一番右に説明が書いていましたので、ここに書き写して見ます。

 古い昔から塞御前(さやんごぜ)と呼び、塞の神で、村の境界や坂道の登り口に諸々の邪気や悪霊を塞って旅人や部落の人達を守ってくれる守護神として祀って崇拝している。

 もとは旧街道の塞御前坂の側に祀ってあったものを昭和の初期に現在地に移転したもの。

建立 昭和59年4月21日

長田町 第二十八班

 一番右の男柱は、説明板が立てた後の、平成十二年に建立されていますが、男柱が、道祖神もしくは塞御前として祀られることも多い。

 ただ、この男柱は、金精神様として、紹介したいと思います。道祖神を境内に新たに建立する必要はあまり無いでしょうから。

 そうそう、諫江八十八ヶ所霊場の第二十三番札所も本堂右手のお堂にあります。 ここ

 

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