山王神社(坂本町)

 JR浦上駅から、電車通りにでて、北に上って最初の信号を渡る。あとは、真っ直ぐ行けば、片足鳥居が見えてくる。(01/28/2002)

 1945年8月9日午前11時2分。原子爆弾の爆風によって片足だけが残った、この二の鳥居は、「片足鳥居」として、あまりにも有名。この鳥居の残りの部分は、すぐ右手の道路脇に説明文と共に保存されている。

 岩川町にあった、一の鳥居。爆風と並行に立っていた為、被爆後も奇跡的に残った。

 しかし終戦後の昭和37年にトラックが衝突した交通事故で、あっけなく倒壊し、その後、消失したままになっている。

 写真が小さくて見難いが、奥に小さく、片足鳥居が見える。

 この写真は、一の鳥居跡の碑から、撮影したもの。

 この写真が現在の、岩川町の鳥居のあったあたり。

 この写真の中央手前に、一の鳥居は建っていたはずです。

 写真左手に、市が解説板を立てる前から「山王神社一の鳥居銘板」と書かれた看板が立てられています。

 一の鳥居の建立は、昭和10年10月、同じく、二の鳥居は、大正13年建立だそうです。

 やっと現在の山王神社の入り口に来ました。浦上街道に面した神社の入り口です。

 原子爆弾の閃光と爆風に耐えて、息を吹き返したクスの巨木に、注連縄が渡されている。

 このクスの巨木は被爆後、数年で発芽して、次第に回復を見せた。

 この巨木が、地域の人たちの心の支えになったという。

 境内に入って拝殿まで進みます。

 明治元年に、山里地区に創建された、皇太神宮が、台風などで損壊し、再建・維持が困難となり、昭和17年この地に遷し祀られ、浦上皇太神宮として、県社になった。

 しかし、地域では、「山王さん」であり、いまも、神社自身の案内掲示でも、山王神社と記してあります。

 山王神社の前身である山王権現の勧進のいわれは、島原の乱のあと時の徳川幕府老中松平伊豆守信綱が、この地を通過した時、近江の国、琵琶湖湖岸の坂本に、風景・地名が酷似しているとして、かの地の山王日枝の山王権現を招祭してはの進言で、創建したという。

 赤い鳥居の奥に小さく狛犬が見えているが、銘を見ると、大正10年、第一工場乙番、工手一同の文字が読み取れる。

Mapion

<メモ>

創建

寛永15(1638)年、神仏混交の習慣から、白厳山観音院円福寺として創建。明治の神仏分離令により、山王日吉神社と改称。浦上の郷社となる。

昭和17年、皇太神宮を遷し、浦上皇太神宮として、県社となった。

祭神

正殿 天照皇太御神 豊受比買神 大山神(看板に記載の通りだが、大山神の誤りであろう)

左殿 大物主神 伊邪那岐神 伊邪那美神 高皇産霊神 神皇産霊神 天御中主神 大年神

右殿 経津主神 健瓶槌神 御代御代皇御孫命

祭日

毎月一日 月例祭

正月元日 初参り

二月三日 節分祭

六月一日 小屋入り・厄払い

六月三十日 夏越祭り

十月十七・八日 秋季大祭(浦上くんち) 2002年は17日のみであった。

十一月二十三日 新嘗祭

04/05/2008加筆更新

 

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