伊佐早の庄に住まう神々の神名帳

 山岳信仰の神々も、神話の神々も、人神も区別無く、五十音順で並べています。まだまだ、調査、研究中?ですので、おかしなところが、ありましたら教えてください。

50音索引
     
   
   
   

 日本には、八百万の神々が居られるそうですが、ここでは、旧諫早領内、神々を調べています。つど追加していますので、言葉使い等、不統一ですが、読み飛ばして、笑ってください。

■愛宕権現・あたごごんげん

火の神で、地蔵菩薩で、武者装束で白馬にまたがり、出陣されている勝軍地蔵の像で、従来武家の間で広く尊崇されています、各地に勧請されて祀られています。

■天照大(御)神・あまてらすおおみかみ

日本神話における太陽神で、主神でもある女神。天皇の祖先です。黄泉国から帰ってきた伊邪那岐命が阿波岐原(あわぎはら)で禊(みそぎ)をした時、左目から生まれたのが天照大御神です。

■天香久山命・あまのかぐやまのみこと

 天香久山命は、天孫降臨の際に邇邇芸命に従って地上に下った神々の中の一神です。その後紀伊国の熊野に住んだとされ、神武東征神話に登場する高倉下神と同一視されている。

■阿弥陀権現・あみだごんげん

阿弥陀如来は、仏教伝来の、間もないころから信仰されています。阿弥陀如来は西方、十万億土の彼方に極楽浄土を開き、悟りを開いていない者も「南無阿弥陀仏」の念仏で簡単に往生することができるといわれます。この阿弥陀如来が、山岳信仰のなかで、権現として祀られたものです。

■天之御中主命(神)・あめのみなかぬしのみこと

古事記において最初に高天原に現れた神。造化三神、別天津神の1人です。

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■伊邪那岐命・いざなぎのみこと

神世七代(かみよななよ)の最後に妻の伊邪那美命と共に現れました。日本神話で初めの夫婦神です。伊邪那美命が多くの子供を産んで死んだ後、伊邪那美命に会うために黄泉国に行きました。しかし、見てはならない伊邪那美命の死体姿を見たため、夫婦喧嘩のすえ地上に戻ったあとに、黄泉国での汚れを取るために禊(みぞぎ)をしていると、左目から天照大御神、右目から月読命、鼻から須佐之男命が生まれたと言います。

■伊邪那美命・いざなみのみこと

夫の伊邪那岐命と共に現れた、日本神話で初めの夫婦神です。高天原から淤能碁呂島(おのごろじま)へ天降った二柱の神は結婚の後、水蛭子(ひるこ)、淡島を生む。その次に大八島(日本)を生んで、さらに35の神々を生みました。そして、最後に火の神、火之迦具土神を生んだ時に陰部を焼いて、それが原因で死んでしまいます。

■稲荷神・いなりのかみ

基本的には 穀物を司る神ですが、商売繁盛の神としても有名。次の5神の総称として稲荷様と呼ばれます。
・宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)天照大神の食事を担当する神
・大己貴命(おおあなむちのみこと)大国主命:病を癒す神としての呼び名
・大田命(おおたのみこと)猿田彦大神:生けるもののために御命幸いを授ける神としての呼び名
・大宮姫命(おおみやひめのみこと)
・保食命(うけもちのみこと)五穀(稲、粟、麦、大豆、小豆)豊穣の神

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■宇賀魂神・うがたまのかみ

宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)に同じ、天照大神の食事を担当する神で、稲荷神。

■保食命・うけもちのみこと

五穀(稲、粟、麦、大豆、小豆)豊穣の神

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■恵比寿・夷・恵比須・蛭子・えびす

海から来る神、その語源は、異邦人や辺境の人を意味する、エミシ・エビスからである。おそらく、外界から福をもたらす神とのイメージであろう。この恵比寿信仰が、岡に伝わり、福をもたらすが、商業神の性格が加わったのではないかと思われる。

■役行者・役小角・えんのぎょうじゃ

修験道の開祖・役行者神変大菩薩(役小角)。別名、役優婆塞(えんのうばそく)と呼ばれています。御真言は「おんぎゃくぎゃくえんのうばそくあらんきゃそわか」とお唱えします。この優婆塞というのは仏教の四衆の一で、四衆とは以下です。

比丘 …出家の男性修行者
比丘尼…出家の女性修行者
優婆塞…在家の男性修行者
優婆夷…在家の女性修行者

つまり役行者は終生を在家のまま通されたことから、エンノウバソクと呼ばれたのです。

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■応神天皇・おうじんてんのう

第15代天皇で、生まれながらに、腕に鞆の形のような肉がついていた為に、大鞆別と呼ばれていた。多くの妃を持った為、皇子皇女が二十人と大勢いました。
九州で生まれたこの天皇が大和へ向い、それを阻む豪族達を倒して大和入りを果たす話は、神武天皇の東征伝説と似通っており興味深いところです。

欣明天皇のとき、大分の宇佐の地に、自ら現れて、「我は誉田天皇広幡八幡麻呂なり」と告げたという。

まず九州に広まり、鎌倉時代に入って、部門の守護神として崇敬される。

別名
誉田別天皇(ほむたわけのすめらみこと)
大鞆別命(おおともわけのみこと)
胎中天皇(たいちゅうてんのう)

■大穴牟遅大神・大国主命・大己貴命・大巳貴命・おおくにぬしのみこと

出雲の国を作り治めている神。国譲りの時に天津神に国を明け渡した。大国主神の「大国」は「だいこく」とも読めるので、仏教の大黒天=シヴァと混同される事が多い。

■大海神・おおうみのかみ

水を司る神様。降雨、止雨を司り、降った雨を地中に蓄えて適量湧き出させる働きを司る神様。水は万物の命の源であり、水がなければあらゆる生物は命を維持することができません。高おかみ神と同神だと思います。

■大田命・おおたのみこと

猿田彦大神:生けるもののために御命幸いを授ける神としての呼び名

■大日霊(女)貴命・おおひるめむちのみこと

日本書紀に言う、「天照大日霎尊」(あまてらすおおひるめのみこと)で、天照大御神に同じと考えられています。

■大物主神・おおものぬしのかみ

大和の三輪山の神。酒好きの蛇神です。蛇神とは雷神であり雨神でもあります。

■大山咋命・おおやまくいのみこと

須佐之男命の孫で、土木の知識に優れ開拓による国土建設の神様。丹塗りの矢に変身し、建玉依比売命(たけたまよりひめのみこと)と結ばれた話にあやかり縁結びの神としてもあがめられており、各地の日枝神社・日吉神社の祭神となっています。夫婦和合、安産守護、商売繁昌、家内安全、無病息災、延命長寿、学業成就、交通安全、厄除けなどの御利益があります。

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■櫛稲田姫命・くしなだひめのみこと

須佐之男命の妻。足名椎神と手名椎神の8人娘の末っ子。名前は「霊妙不思議な稲田(水田)の姫神」という意味。八俣大蛇のいけにえになる予定のところを、須佐之男命に助けられ結婚します。古事記では結婚の後、矢島士奴美神が生まれて、その6代後に大国主神が生まれたとされています。しかし、日本書紀では櫛名田比売の須佐之男命の子供が大己貴神(大国主神)となっています。

■楠木正成、正行父子・くすのきまさしげ

大楠公・小楠公の別称があります。

■熊野大権現・くまのだいごんげん

山岳密教の信仰の対象で、熊野信仰の神、現世安穏即ち心願成就、家内安全、業務繁栄、交通安全、大漁満足、縁結びの神としてしたれます。

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■金精神・金精大明神・こんせいしん

金精神は、男根そのものをリアルに、または象徴的に象ったもので、縁結び・子孫繁栄・夫婦和合・子宝・安産等のご利益があるとして、神社の境内に祀られたり、そのもの自身が、ご神体として祭られていることもあります。

■牛頭天王・ごずてんのう

疫病をはやらせる神とされ、スサノウの化身とも呼ばれ、仏教では、薬師如来の化身とされる。この怖い神の性格から、畏敬されて祀られるが、もとは祇園精舎の守護神であり、スサノウが宿に困った時に、蘇民将来が、お世話をしたので、「蘇民将来之子」といって、腰に茅の輪を下げれば、疫病から守られるといわれる。

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■塞の御前・塞の神・さやんごぜ

村の入り口や藩境などにあって境界の安全を守り、悪霊を塞(さえ)ぎる神です。 道祖神、猿田彦神と同神と考えます。

■猿田彦(大)神・さるたひこのかみ

猿田彦神は、道の神で、道祖神と考えられています。この神は道の神、道案内の神、旅人の神とされました。

天孫ニニギノ命が、大和島根に降臨の際、道路に鼻高の天狗猿田彦が立ち塞がっていました(塞ノ神)。猿田彦は、天孫降臨と聞いて道案内のため、出迎えしていたのです。

この確認のために、先にたったのが、天鈿女(あめのうずめ)であり、怪しいもので無いことを確認したととのことです。このあと、この二神は夫婦となり、子孫は猿女君(さるめのきみ)を名乗ったといいます。

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■じゅうごさん・竜宮さん

龍王のこと、佐賀鍋島藩の影響の及ぶ範囲内では、こう呼ばれている事が多い。龍王は、古代中国の霊獣であり、日本に伝わり、龍神や水神として信仰されてきている。ここでいう、八大龍王は、法華経の守護神であり、密教の雨乞いの際に、用いられる請雨経曼荼羅には、釈迦如来に仕える、八大龍王が描かれている。

これにより、水を司る神として信仰されている。諫早湾周辺の村々には、龍王の祠が、数多く祀られている。

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■少彦名(大)神・すくなびこなのかみ

神産巣日神の息子。医療、酒、呪術の神。神産巣日神の子。常世の国から海を渡って天之羅摩船(あめのかがみのふね)に乗り、蛾の皮の衣を纏ってやってきた。大国主神と協力し国造りをした。

■須佐之男命・素戔嗚尊・須佐男命・すさのうのみこと

伊邪那岐命の子で、天照大御神の弟。名前は「荒ぶる男」、「須佐(地名)の男」という意味。長い髪の暴風神、雷神として考えられる。亡き母の伊邪那美命のいる根の国に行きたいとだだをこね、伊邪那岐命に追放される。その後、高天原で天照大御神に根の国に行く許可を得たが、喜んで暴れまわったため、下界に落とされ、それから八俣大蛇を退治して、櫛名田比売と結婚します。

その後、根の国の王となり、娘の須勢理毘売命に求婚する大国主神に対し、試練を与える。須佐之男命は初めて和歌を作った事でも知られています。

■崇徳天皇・すうとくてんのう

崇徳天皇は院政期にあって治天の君(院政を行う上皇のこと)にはなれなかった天皇です。崇徳天皇は1119年、鳥羽天皇の第一皇子として生まれました。母は待賢門院 璋子(たいけんもんいん・しょうし)。治天の君である曾祖父の白河上皇(1034〜1129)の意志により、1123年、鳥羽天皇を20歳の若さで退位させ、わずか5歳で崇徳天皇は即位しました。

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■高皇産霊神・高御産巣日神・たかむすびのかみ

『古事記』では高御産巣日神、『日本書紀』では高皇産霊尊と記されています。
『古事記』において八百万神(ヤオヨロズノカミ)に先駆け、 天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、神産巣日神(カミムスヒノカミ)とともに最初に 高天原に成りました(現れる)神です。また、「造化三神」の一神であり、この造化三神と この後に高天原に現れる宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)、 天之常立神(アメノトコタチノカミ)を加えて「別天津神(コトアマツカミ)」とも称されます。
記紀神話の中で多数の神話伝承を有しており、「高木神」「高皇産霊尊」等の 別名でも登場しています。
記紀神話は、その内容から天照大御神を中心とする「高天原系の神話伝承」と、大国主神を 中心とする「出雲系の神話伝承」に大別できますが、同じ造化三神の一神である神産巣日神が 「出雲系神話」に登場するのに対して、高御産巣日神は「高天原系神話」に多数描かれ、 神話伝承の多くに天照大神と同様に主要な神として位置づけられています。
神話伝承の中で、「天照大神、高御産巣日神の命を以て・・・詔(ノ)りたまはく。・・・」 と言った記載が何度か有り、天照大神と共に諸神に「命じる立場の神」として描かれています。
『日本書紀』でも高御産巣日神の記載は『古事記』同様に多数あります。 「神武天皇即位前期」には、大和の国の鳥見山中にて神武天皇(第一代天皇)自らが 高皇産霊尊を祀(マツ)る「顕斎(ウツシイワイ)」の記述などもあることから、 古来より、天照大神と同様に皇室を守護する主要な神として理解されていたことが伺いしれます。
江戸時代の国学者・本居宣長は、高御産巣日神・神産巣日神の働きは、万物を生成する「むすひ」 の働きをつかさどる神であることを主張しています。
(神社本庁 神保郁夫)

■武内宿弥大臣・たけのうちすくねのおおきみ

みずから三軍を指揮し朝鮮半島に出陣、新罹を服属させ百済、高句麗も帰服したという、神功皇后との話で有名であり、300歳まで長生きし5代の天皇に仕えたとの言い伝えがあります。

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■筑紫国魂神・四面さま・ちくしのくにたまのかみ

九州雲仙(温泉)に住まう一身四面(白日別命、速日別命、豊久士比泥別命、建日別命)の神。山岳信仰の神。

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■天狗・てんぐ

天狗とは、修行者が変化する山岳信仰の神の一柱ですから、日本各地に伝説が残っています。また、天狗とは、猿田彦神であり、人を導くとも言われています。

人が修行して、徳を積まずに、知識や技術のみを追求して、六道からはずれて、天狗道に入るといいます。

■天神様・菅原道真公・てんじんさま

菅原道真公は「天に満ち満ちて自在に威徳をお示しになる神」として、知育・徳育・体育の三原則と結びつき、人間形成に影響し、精神的な心の光、理想の光としてその御神徳は私たちを永遠に導く尊いものを持っておられます。「願うて叶わざるものなし」ということから「全能の神」として多くの人々に信仰されており、殊にに現代では、「学問の神」、「書道の神」、「道徳の神」、「技芸の神」、「人生教訓の神」、「子育ての神」などどして人々に信仰され、特に入学試験や、様々な試験の合格が祈られております。(天神様の由来から)

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■道祖神・どうそじん

村の入り口や藩境などにあって境界の安全を守り、悪霊を塞(さえ)ぎる神です。 塞の御前、猿田彦神と同神と考えます。

■歳三神・としさんじん・としのかみ

五穀豊穣の神、大歳・御歳・若歳神の総称で、国津神の代表選手。

これら3神の「歳」の字は、古事記、日本書紀、古語拾遺などの書物によっては 「年」が使ってあったり、「御年神」とかいて『オオトシノカミ』と呼んでいたりと、 表現がまちまちです。 「年」の字は、年月を表すのではなく、稲の熟するまでの期間を表す、と言われています。 これら3神は、一般に農耕神と考えられているので、「年」の字の方がぴったりはまりそうですから、 ここでは、「年」の字を使って説明します。
御年神、若年神は共に大年神の子供です。
大年神は、『古事記』の八俣大蛇の段・出雲の神統譜に、素佐之男命(スサノオノミコト)が 大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘、神大市比賣(カムオオイチヒメ)を 娶って生んだ御子で、穀神であるとされています。農耕神の根本的中心的存在として、 民間でも広く信仰されています。
又、その子である御年神・若年神も稲の神、若い稲の神であるとされ、穀神です。
祈年祭(穀物の豊作を祈って毎年2月17日に宮中で行われる祭)に大年神をお祀りしますが、 『古語拾遺』に次のような伝承があります。
「・・・大年神の怒りにふれ、田畑の苗はたちまち枯れ果ててしまった。そこで大地主神は、 大年神に白猪・白馬・白鶏を献じて怒りを解いてもらおうとした。大年神は怒りを解き、 さらに農耕の知恵を授け、稲は豊かに実ることができた。」 この伝承が元で、祈年祭では今でも白猪・白馬・白鶏を捧げています。

又、大年神は、大国主神が「一人でこの国を治めるのは大変なことだ」と思案しているときに、 名乗り出て国土経営に協力し助けた神様でもあります。
(鶴ヶ丘文庫 加藤健司)

■豊受姫命・とようけひめのみこと

受(うけ)の音から、また、稲荷の主祭神に成る事の多さから、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)天照大神の食事を担当する神、お稲荷様の同神と考えます。

■豊玉姫命・・豊玉比売命・豊玉媛尊・豊玉比売命・とよたまひめのみこと

 豊玉姫命とは、姿かたちの見目麗しい女性を意味する。海神の娘である豊玉姫命は、海神(ワタツミ)の宮にやってきた山幸彦(火遠理命)と結婚して子供をもうけ、夫に富と地上の王として君臨する資格を授ける。豊玉姫命は、富と権力、子孫繁栄を保証する女神といえるわけである。

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■八大竜王・龍王・竜宮・はちだいりゅうおう

龍王は、古代中国の霊獣であり、日本に伝わり、龍神や水神として信仰されてきている。ここでいう、八大龍王は、法華経の守護神であり、密教の雨乞いの際に、用いられる請雨経曼荼羅には、釈迦如来に仕える、八大龍王が描かれている。

これにより、水を司る神として信仰されている。諫早湾周辺の村々には、龍王の祠が、数多く祀られている。

■八天狗・はってんぐ

天狗とは、修行者が変化する山岳信仰の神の一柱ですから、日本各地に伝説が残っています。また、天狗とは、猿田彦神であり、人を導くとも言われています。

人が修行して、徳を積まずに、知識や技術のみを追求して、六道からはずれて、天狗道に入るといいます。だから日本中に、天狗がいて、八天狗もその一つです。

また別の見方では、日本には八大天狗というのがおりまして、愛宕山太郎坊、比良山次郎坊、飯綱三郎、鞍馬山僧正坊、大山伯 坊、彦山豊前坊、大峰山前鬼坊、白峰相模坊であり、これに別格の法起坊を加えたのが、古来からの天狗です。なお法起坊は役の行者の天狗名といわれています。

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■船魂大明神・ふなだまだいみょうじん      

船魂を船霊や船玉と記す場合もあるが、漁民や船乗りに広く信仰されるという。船魂神は女性であるとの伝承から、船に女性を乗せるのをタブー視する傾向もあった。

豊漁や遭難などについては事前に予知してくれるとも云う。船魂を住吉大明神や猿田彦大神と同一視する場合もある。

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■火産霊神・ほむすびのかみ・火之迦具土神・火雷大神

伊邪那岐命、伊邪那美命の御子で火之迦具土神とも火雷大神とも申し、火のことをお司りになり、世の中の物を熟し整え給う御功徳が高く、火は吾々の日々の生活上、一目も欠かすことの出来ない大切なものであり、又一度火を粗末にすることがあれば万物を焼き滅ぼしてしまう恐ろしいものであります。

これを主宰し給うこの神様は常に吉事と凶事の境にあって、吉凶禍福を司っておられます。故に我々は、この神様の広大無辺の御神徳を仰ぎ尊ぴ感謝し奉り、この荒御塊の荒ぴ給うて火事等の災厄にあわせ給うことのないように、国家の繁栄と一家の隆昌を析願しなければなりません。

■山神・山の神・やまのかみ

山の神は山村で、田の神は農村で祭られていましたが、いつの頃からか、山の神が春になると里に降りて来て田の神になり、秋にはまた山に登って山の神になる、という伝承が広く信じられるようになりました。ここで神様が里に降りて来ることを「さおり」、山に帰ることを「さのぼり」と呼びました。ここで「さ」は神のことで、「早乙女」・「早苗」の「さ」もこれが語源のようです。

山の神は天狗であるとか熊であるとかいった伝承もあります。また、狩りをした時に獲物を分ける時に一人分を山の神のために分けるという風習を持っている地方がありますように、狩猟の神とされる、山ノ神もあります。

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■龍神・竜神・竜宮・りゅうじん

龍王は、古代中国の霊獣であり、日本に伝わり、龍神や水神として信仰されてきている。ここでいう、八大龍王は、法華経の守護神であり、密教の雨乞いの際に、用いられる請雨経曼荼羅には、釈迦如来に仕える、八大龍王が描かれている。

これにより、水を司る神として信仰されている。諫早湾周辺の村々には、龍王の祠が、数多く祀られている。

■龍造寺家晴・りゅうぞうじいえはる

諫早家の始祖とされ、鼻祖は藤原鎌足である。鎌足から十五代目に。季慶という人があり、源為義の八男、鎮西八郎為朝の九州入りに際して、その部下として同行。為朝の引き上げ後は、執行職となり、竜造寺と号して、肥前の国小津郡竜造寺村に住み知行した。その十七代が、分家を継いで、その後総領主になった、隆信がいて、その子が、竜造寺家晴である。その家晴が、秀吉の時代。天正15年に、西郷氏を破り、伊佐早入りを果たした。家晴の子、直孝(なおのり)が、故あって、諫早を名乗り、諫早家二代となった。諫早家は、藩籍奉還の時まで、諫早の領主であり、明治時代は、貴族院議員、男爵家となった。

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■海津見神・綿津見神・わたつみのかみ

海神です。綿津見神はいざなぎの神が黄泉の国から戻ってみそぎをした時に生まれた神です。この時水の底の方に潜った時に生まれたのが底津綿津見神・底筒之男命、中ほどにいた時生まれたのが中津綿津見神・中筒之男命、水の表面で生まれたのが上津綿津見神・上筒之男命です。この中の底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神が綿津見の神三神です。

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