志志伎神社を歩く | |
平戸といえば、教会と寺院、歴史とロマン等と形容される。しかし、もうひとつ、平戸といえば、延喜式における、肥前の国、式内社4社のうちで、唯一の長崎県内の式内社(壱岐・対馬は肥前の国ではない)である、志志伎神社がある。 (11/27/2001) | |
志志伎神社は、第12代の景行天皇が行宮を設けられたところで、志々伎山の頂上には、山上の上宮、に始まり、中宮、地の宮、第14代の仲哀天皇(日本武尊の第一子の稚武王)の弟宮・十城別王(3世紀)の御陵墓である沖の宮と4つの構成からなる。 【祭神】 十城別王 |
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この、宮の浦湾に浮かぶ、沖ノ島に、「沖の宮」があり、現在は、防波堤で、陸続きになっている。この防波堤から、沖合いを眺めると、この宮の浦が、沖合いの島々に守られた、天然の良港であることが、実感できる。半島との関係が大きい、この地区に、式内社があるのも、うなずける。壱岐・対馬に、多くの式内社が、あるが、規模が待ったく違う。 | |
この碑は、現在の地の宮である、邊都宮の隣にある、景行天皇の行宮の碑である。現在でも、この碑を訪れる人は、多いと近隣の古老は言う。 この裏山は、神域として、人の手が入っていないので、古の状態をよく保っているので、現在は、県指定の天然記念物に指定されている。 |
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景行天皇行宮後から、向かって左に、現在の邊都宮(地の宮)が、ひっそりと、祀られている。 古の栄華を思うと、いまの姿は、寂しいものに映るが、氏子の方達であろうが、社や境内の手入れは、行き届いている。 |
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平戸大橋から、40k以上離れた、平戸島の最南端。宮の浦まで、走ってきたかいがありました。でも、折角来たんですから、せめて中宮くらいは、お参りしたい。 | |
宮の浦の漁港から、野子古町まで戻って、「阿弥陀寺跡」の案内板を上っていくと、立派なお寺さんの脇に、この鳥居が見える。 鳥居の前の、比較的新しい、燈篭でも、慶応の奉献の。さて、ここからが、一仕事。よく整備はされているものの、サラリーマンのなまった足には、大仕事だ。 |
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石段や、坂道を上がって、だいぶ朽ちかけた、白木の鳥居をくぐって、やっと、たどり着いた。 ここが志志伎神社の中宮。ここまで、上がってくる間の、大変な参道も、きれいに手入れが、されている。 |
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大きくはないが、なかなか立派な、狛犬が、配されている。 ただ、この手前に、もう一組の狛犬が、あるのだが、口の開閉の状態が、左右反対である。 |
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これが、手前の狛犬。上の狛犬に比べると、多少稚拙な、加工のようにも、感じるが、表情が、なんともいえず、趣がある。 狛犬たちと別れて、手前の鳥居に戻って、右手に上宮に上がる、参道がある。 |
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今日のところは、残念ながら時間切れ、もう日が沈み始めた。この参道を暗くなって、下るには、なんの準備もしていない状態では、心もとない。 また、訪れる機会もあるだろう。 |
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肥前の国式内社 志志岐神社:(大社)長崎県平戸市野子古町251(宮の浦地区) |
01/18/2009更新