歳神社(小船越町)

 長崎からは国道34号線小船越点を直進、最近道の付け替えがあって少し先に交差点が変わったが諫早自動車学校前に上る。学校の前を左折、道なりで鳥居が見えてくる。
(12/19/2001)

 小船越は弥生期の耕作が早くから始った場所。そこには当然のように「歳神社」がある。五穀豊穣の守り神、歳神社ですから。

 この神社の前の道は旧長崎街道で今は宅地開発されてしまっているが神社の裏山は「城山」です。神社のすぐ先から、だらだらと城山の中腹の坂が、「城の越」と呼ばれ下りきったあたりが、「砂原」と呼ばれます。

 この砂原の、住宅工事の時に見たのですが、人の背丈ほどに掘られた穴の底は、どう見ても有明海と同じガタの層に見えました。

 7世紀頃までは有明海は、この辺りまで入ってきていたと聞いたことが頷けます。

 その旧砂原の先から右折すれば右手が城山の裏手の「焼山」、左手が神のこもります聖山(神奈備)とされた御舘山です。

 その谷あい(現在の道路)が呑空谷(どんくうだに)と呼ばれていました。弥生から近世まで諫早の歴史ある場所なんでが、まとまった資料は、まだ見たことが有りません。

 奥の石祠が歳神社で手前は「虚空蔵菩薩」

です。もともとこの地に勧請されたものではなく西諫早ニュータウン開発時に現在の白岩、山川町あたりにあった虚空蔵山の山頂から、ここに昭和43年に移されたものです。

 歳神社も境内には小船越町公民館が建っていますし、ちょっと狭苦しい思いをされてるかもしれません。

<メモ>

 小船越町郷土史によればJRの北側、北バイパス出口の右手高みに年神社が有った。宝永7(1778)年に創建され祭神は「穀の御霊」大歳神、浜田が埋め立て田地化されて「虫害防除、五穀豊穣」の祈願の為に祀られた。その後、明治37年に現在の小字の原口(はるぐち)に遷されたとある。(元の場所は小字で神田と云い昭和初期までは神社跡が残されていたという)

海進について

 上記郷土史によれば、わたしが見た「ガタの層」を、裏付けるものとして、昭和初期までは、すぐ近くの上戸氏宅前の水路の中央に、蒲が自生していたとのことです。(12/23/2001)

05/16/2008更新

12/23/2001更新

 

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