熊野神社(津水町)

 諫早市と大村市の境、西諫早ニュータウンの奥にある、津水。この地も弥生前期に、渡来人が来たと、いわれるところです。名前の通り、昔は大村湾に開いた、諫早の港でした。ここに熊野神社が有ります。(12/09/2001)

 創建に関する記録を見つけることが、出来ませんでしたが、鳥居には「享和二年再建」の文字が見えますから、この鳥居は1802年に建てられたようです。額には「観世音」の文字が見られます。

 伝説によれば、この津水から、文禄元(1592)年に、朝鮮の役に出立したと、あります。

また、土地の人の話では、昭和30年頃までは、港町として、随分賑わっていたそうです。

<メモ>

祭神
伊邪那岐命、伊邪那美命、大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)

祭礼
6・10月18日

 井戸です。この井戸は、津水港に入港する船が、補給水に使っていた、井戸だそうです。

勿論、朝鮮の役に、出立したときも、この井戸を使ったことでしょう。

 現在は、淀んだ水があるだけ・・・・・

<メモ>

 諫早市指定天然記念物「熊野神社の植物群」昭和52年3月5日指定
樫・椎などの暖地性の巨木が生い茂り、これらの樹木の下に自生している、シロミノマンリョウは、とくに珍しいとのことです。

<メモ>

 社殿に向かって、右側は、現在ニュータウンの「堂崎町・堂崎団地」となって、山の名前がなくなってしまったが、元は「弘法山」であった。もとは文政8(1825)年に、勧請された、諫江八十八霊場の、弘法様が山頂に祀られていた。弘法様は、現在、この社の上部(堂崎町13番地)に、移されている。攻防山の、上部が削られて、堂崎町が出来たが、そのために、熊野神社の井戸の湧き水が減って、淀んでしまったのかも知れない。

 また、旧弘法山の東側は、虚空蔵山であり、やはり虚空蔵菩薩が祀られていたが、弘法山と同時になくなり、虚空蔵菩薩は、小船越の焼山の西側麓の「歳神社」に、移されている。

<創起に関するメモ>

 真津山史話によれば、鳥居の扁額にある、「観世音」は、竜造寺家晴の家来が、観世音菩薩を、この地に祀ったのが、始まりとの説が有るそうだ、鳥居の創建の時代より、ぐっと古くなるが、昔の神仏を同時に祀った時代を、考えれば、案外それが、真実かも知れない。
(12/15/2001)

<諫江八十八ヶ所霊場>

 一の鳥居の前の赤い手すりの階段を上ると、境内の高台に出る。東大川が見えて、なかなか景色がいい。ここのお堂に、諫江八十八ヶ所霊場の八十七番札所がある。 ここから

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