恵比寿大神・塩釜大神(津和崎)

 五島列島最北端と言うと、宇久、小値賀から、怒られそう。しかし、中通島最北端の町、津和崎は、やっぱり最北端の町だった。津和崎の灯台は、古武士のように聳えていた。
(02/06/2002)

 津和崎の灯台は、ツバキの中にあった。目の前は、野崎島との瀬戸、潮の流れは速い。この海の難所を照らしてきた灯台の下に、津和崎の集落がある。

 津和崎の漁港の突端に、恵比寿様が、祀られている。何時の時代からの、お祀りか、土地の出身の先輩に聞いても判らない。

 その恵比寿様より昔から、祀られているのが、塩釜さま。昭和52年に、恵比寿さまと一緒に、鳥居が新しくなって、その前の記録が不明なのが残念。

 中通島を走っていると、集落ごとに、十字架のある墓地と、仏式の墓地が交互に現れる。

 五島の里人は優しい。集落毎のご宗旨の違いも、歴史の中に根っこがある。そんな里の中に残されている、小さな祠がいとおしい。

 壱岐対馬に比べて、五島列島には、神社が少ない。なぜ少ないのか?そんなことを考えながら、西に、東に海が現れる、津和崎への路。

 

 津和崎の里に出る前の、何処にでもある峠に、「五島領、平戸領境界」の看板があった。中世以降紛争を重ねていた五島・平戸領の境界が生保二年(1645)幕府領の天下国絵図改正で決まった。これによって、同じ中通島で五島領と平戸領に別れた。

 この新魚目町でも、仲知の島ノ首以北(赤波江を除く)は、平戸領になった。同じ陸続きで約二百年以上も所属した藩が違っていた。現在でも同じ町で風俗習慣が違っている。

 新魚目町の教育委員会の看板にも、上記のように書かれている。同じ町内で、本来なら融和を中心に考える教育委員会の看板にしてが、このような記載。

 支配、宗教、離島と、多くの要素が、いまの五島列島の魅力を作り出している。自然の素晴らしさは言うまでもないが、こんなところも思い出しながら、旅をするのも楽しい。

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