矢上神社 |
諫早からは国道34号線の矢上町に入って飯盛への分かれ道を過ぎて田中町に上がる交差点を右折。旧長崎街道(一方通行)を戻って左側になります。(12/09/2001)
(鳥居の前は長崎街道、矢上宿の石柱も)
商業地域と住宅地域に挟まれた境内は何とか鎮守の杜の姿を保っています。長崎市内では、一番古い神社と言われていますが、ここは、もと諫早領内です。 ですから、いまでも長崎のくんちでは矢上からは囃子方しか出ることは出来ません。 |
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神仏習合の名残を留め境内の神池の中ノ島には四面仏塔があり馬頭観音や地蔵尊、観音菩薩、弘法様なども祀られている。 |
<メモ>
祭神
大巳貴命(大黒様・おおなむちのみこと)
少彦名命(恵比寿様・すくなひこなのみこと)
須盞鳴命(大王様・すさのうのみこと)
境内社
八幡大神、諏訪明神、白龍神、五穀大明神 他
由緒
弘安4(1281)に元寇の国難に際し天下ったと伝えられる。
長崎市矢上町322番地
例大祭:矢上くんち 10/17(毎年同じ)
(なかなか愛嬌のある狛犬さん)
矢上・古賀・戸石・牧島・日見・網場・飯盛・田結・江の浦郷の総産土神として郷社に列格されている。(明治7年)幔幕は諌早家の昇藤。
諫江八十八ヶ所霊場の第七十一番札所。讃岐国弥国寺の弘法様も地蔵菩薩や馬頭観音と並んで祭られています。
社伝から推察すれば本来は須盞鳴命(大王様・すさのうのみこと)の、お社かもしれません。お四面様で知られる雲仙の「温泉神社」の祭神も元寇のときに博多まで行って援軍をしたようですから、なにか関係があるのでしょうか?
こんな、素人考えも楽しいものです。
05/13/2008更新
02/22/2002更新