淵神社(長崎市淵町)

 淵神社と言うより、稲佐山ロープウェイの駅と言ったほうが判り易い。(03/11/2002)

 淵神社は、昔神宮寺で当時は、裏山の宝珠山の山頂に虚空蔵菩薩と玄武神を祀り、現在の辺りに弁財天を祀り、これを妙見社といっていた。

 天正年間当時、切支丹宗の旺盛であった頃、教徒のために焼かれてしまい、その後久しく荒れていたが、寛永11(1634)年弁財天を勧進して古に復し、このときより妙見尊を祀らず、社地が稲佐郷にあるので、これを稲佐弁天社とよび、淵村の総鎮守として、歳月を経て明治維新に及んだ。

 明治維新となり、神仏混淆の禁令とともに、従来両部神道であったが、市杵島姫命は、仏家において本地を弁財天と称されていたので、宗像三女神を祭神として、淵神社と公称するようになった。

明治7年5月に村社となり、昭和18年には郷社を飛び越して、県社となった。

 道路に面した一の鳥居を抜け、階段を上ると、享保11年に建立の二の鳥居。参道脇は幼稚園で、子ども達の歓声が聞こえる。拝殿前に出ると、左手が稲佐山のロープウェイ発着所。

 拝殿の裏手には、十二支神社と案内があるので上ってみると、自分の干支にちなんだ祈願所がある。なんだかキヨスクが並んでいる気もするが。

 数ある境内社の中で、今日来た目的は、この桑姫社。キリシタン大名、大友宗麟の次女と言われ、大友氏滅亡後、大村公を頼ってこの地に隠れ住み、近隣の婦女子に行儀作法や生糸の紡ぎ方の指導などをされたという。隠れ住んでいたために名前も無く、生前は阿西(おにし)御前と呼ばれたが、没後、庭の桑にちなんで、桑姫と呼ばれた。

西彼外海町の枯松神社とこの桑姫社が、長崎県内のキリシタンを祀った神社として知られる。

祭神 田心姫命、市杵島姫命、湍津姫命(宗像三女神)

相殿 天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、菅原大神、金毘羅大神

境内社 宝珠稲荷社、高木稲荷社、桑姫社、十二支神社

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