深堀神社(長崎市深堀町) |
長崎市内から三和町方向に向かい、小ヶ倉の先を右折、香焼町に向かう途中のバス停「深堀」から、市役所の深堀支所に向かう。(03/27/2002)
長崎の深堀地区は、諫早とも縁が深い地域、藩政時代に竜造寺に追われた西郷氏からも養子に出ているし、後年は佐賀の属領、深堀鍋島家として栄えたところ。
【祭神】 猿田彦命(さるたひこのみこと) 創建の時期は不明であるが、上総国に居住していた三浦氏の一族・深堀能仲が、承久の変(1221年)の恩賞として肥前国戸八浦(現長崎市戸町付近)の地頭職を受け、建長七(1255)年に当地に下向したときにはすでに鎮座していた。 |
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【境内社】 天満宮、三浦神社、稲荷大明神だが、近隣から集められたのか石祠多数が祀られている。 【深堀氏】 彼杵郡深堀(現長崎市と西彼杵郡の一部)を知行所とする佐賀藩の家臣。家老格。知行高六千石、元来は関東三浦氏の一族で上総国を居所とした。 |
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【文化財】 深堀神社の鳥居(旧幸天宮石神門)、長崎市指定有形文化財。現在の鳥居は二代目で寛文3(1663)年の再建されたものだが、もとは文政8(1828)年に台風で倒れたものを、天保8(1837)年に再建した。 トップの写真でも僅かに見えるが、柱に深堀家の由来が記されていることが珍しい。 |
すぐ近くの武家屋敷の石塀