五穀神社(長崎市上戸石)

 矢上から戸石に抜ける途中、陣の内のバス停から、左折後戸石川に沿って登って右側。
(03/04/2002)


(戸石川を渡って一の鳥居)

五穀神社由緒記

 至徳(1385年)に、甲丑七月害虫駆除の為元を祠りしに、五穀豊穣を以て郷民の尊崇を篤く、後萬治元年(1658年)八月現在の所に社殿を造営せり元は嶽の嶺に祠りしなりと記録あり

 昭和57年7月23日、日没と共に猛烈な豪雨となり7時20分より8時20分までの降雨量は127.5ミリという史上最高を記録した。

 長崎地方に停滞した梅雨前線による連日の降雨により緩みきった林地は、土石の奔流となって崩れ落ち、家屋、田畑は勿論、当町内より15名の尊い人命をも奪い去った。

 本五穀神社も土石流と共に崩壊し河川に流されたが、幸いにして御神体並びに正面社殿の彫刻、弘法大師の御頭は御守していただき、体肢の復元は尾上力松氏の御厚志によるものである。

 町民一同の再建への意欲と町内外の御援助御協力を賜り、現社殿の建設に至り、この地に鎮座して町民を御護りいただくため、ここに記念碑を建て信仰を篤くする。

昭和59年6月吉日 神尾清寿著

 由緒書きを呼んでから、手水を使って、拝殿に進んでみる。

【祭神】
雅彦震神、倉稲魂神、保食神

明治21年建立の鳥居。

 長崎大水害を経て再建された社殿。木の社殿の神社の歴史、石の文化とちがい、何処かの時代で祭祀が途絶えれば消えてしまう。

 水害を越えて、再建を果たした氏子の皆さんに感謝。

Mapion

 首の傷が痛々しいが、お守りいただいて、こうして鎮座する姿を思えば、痛々しさは消える。諫江八十八ヶ所霊場の讃岐国観音寺。

 

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