八天神社(永昌町)

 市営永昌団地の右側から入って、行き止まりの手前が、この八天狗さん。(02/11/2002)

 八天狗信仰の流布は不明であるが、諫早領内は諸方に八天狗石碑の建立があり、これら修験者山伏によって、火難消除の守り神として、信仰を広めた。

 ここ永昌の地は、長崎街道、諫早浜街道(多良街道)、島原街道と、三街道が合流するところ。佐賀本藩の代官所もあり、諫早の宿場であると共に、諫早を抑えの拠点としての重要地であった。八天籠、八天下、八天平の小字の接点が、この境内であり、眼下に栄田本明川に沿う町並みを望見する景勝清浄の地に、火災鎮除農作工業開運安産の守護神として八天狗を祭祀し士庶万民の振興の祭場として今日にいたる。

 町民相計り観音屋敷等整理し浄財をもって境内を整備する。

八天神社由緒記から、意訳転載

鎮座地 諫早市永昌町八天籠三九六

祭 神 火産霊神(ほむすびのかみ)

創 建 文化3(1806)年 明治7年5月5日 村社に列せられる。

宮 司 藤本勝喜(御舘山稲荷神社)

社の内に、天満宮、恵比寿神等を併せ祀る。

 西国三十三所観音が、永昌名字田尻313から、昭和45年に、西地区都市計画で、この地に遷された。

 向かいの、子安観音と共に、参詣者は多い。

【子安観音】江戸時代の文化・文政年間から、南高、北高に広く信仰され、この観音様に祈願すると、福徳智の備わった男子か、美しい女子を望み通りに授かると、その功徳が知られています。

 高台ですから、市街地を見渡せる、なかなかの場所です。

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