日吉神社(愛野町)

 愛野から唐比に向かう道沿いにある山王自然公園。この付近だけ愛野町が森山町に入り込んでいます。(02/12/2002)

Mapion

 狛犬じゃなくて日吉さまの使い、お猿さんのようですね。お神酒を傍らにご機嫌です。

案内看板から書き写し

 このあたりは小字を山王といいます。この神社の名は日吉(ひえ)神社ですが土地の人は山王様と言い習わしています。

 御祭神は大山咋神です。山河名の氏神様です。明治になって山川部落の天神様と佐用姫様が合祀されました。

 今から約一千年ほど前、淳和天皇の御世、近江の国の山王日吉神社から御分神され温泉山満明寺の守護神として創建されました。

 土地の人は天然痘の神様としても崇めています。この前の道路は古くは島原街道と呼ばれ諫早方面から島原半島への玄関口にあたり重要なところでした。

 このあたりを三軒茶屋と呼ばれているのも、またその名残でしょう。

 近くには往時の島原藩、諫早藩の藩境の石塚も遺っています。江戸時代、島原藩主松平公は参勤交代のおり必ず駕籠を止められ日吉神社に参拝なされ長い道中の加護を祈られたそうです。

 昭和三年建立の一の鳥居。石段が上まで続いています。石段の脇の灯篭には嘉永5年と有りますから1852年の建立のようです。

 この石段を登らずに上がれる車道が脇に有るのですが神社ウォッチャーとしては、やっぱり参道を外れるわけにはいきません。

 二の鳥居です。嘉永四年(1851)の銘があります。上部に山形のある山王鳥居を期待していたのですが諫早周辺では、あまり見かけません。

 この鳥居も、どっしりとした、この近辺で良く見るタイプの鳥居。

 拝殿でしょうが参道から脇に寄った形で建てられています。

 幕が梅紋だったので天満宮さんが正面を遠慮したのかと深読みしたら単にここしか建たなかったからとのことでした。

 考えすぎですね。

 自然石の巨石が社になって石祠が祀られています。

 右が山王さまで、となりが天神様のようなんですが、なぜ玉垣の外に祀られているのが不明です。

 佐用姫かと思いますが神紋に七本骨扇がついています。

また宿題が増えてしまいました。唐津のに行ったときにでも紋の確認をしなくては。

05/11/2008更新

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