神代神社・道政院稲荷神社(国見町神代)

 神代交差点から雲仙方向に入って左手。鶴亀城址の本丸跡が神社になっている。赤い鳥居が目印。(04/16/2002)


(神代神社の拝殿)

 鍋島豊前守信房公と菅原道真公(隣接の天満宮からの合祀と思われる)をお祀りする神代神社。天保14(1843)年の創建といわれる。

 同じ境内に祭られる道政院稲荷神社。創建はこちらが古く、延享4(1747)年。神代鍋島家八代茂興黄河、本藩の名代として桃園天皇即位式に参列した際、京都伏見稲荷から分身を請受け祀ったもの。

【祭神】

倉稲魂神(俗に云う五社稲荷神)

 鶴亀城址遠景。ここにあった神代氏は南北朝時代から天正年間にかけて、この地に勢力をもっていたが、天正12年の有馬島津連合軍対竜造寺隆信軍の戦いの際、隆信公についていた神代氏は、隆信公討ち死にの後に、一旦は有馬軍と和睦したが、和睦調印後に謀殺され、神代氏の時代は終わった。

 後の天正15年秀吉公の島津攻めの際に、従軍していた鍋島公の分藩となった。神代鍋島家は幕末まで続き、現在も鍋島陣屋は、神代鍋島氏の私邸として残っている。(鍋島陣屋)

 神代氏時代の稲荷明神の祠が、写真左手の二の丸に残されている。

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