高城神社の神額が発見された!!

 さる、3月31日深夜、諫早大水害で流出した、高城神社の神額が発見されたと聞いて、さっそく神社を訪ねた。(04/07/2002)

クリックすると、後日鳥居に納まった写真がみれます
45年ぶりに発見された「神号額」

 この額は昭和32年7月25日夜、諫早を襲った水害の際に流出してしまった、旧一の鳥居の神号額。高城神社は明治15年壬午(みずのえうま)の歳に、旧領主諫早家の鼻祖を祀った神社として創建された。今年はやはり壬午の歳にあたり、神社の二度目の還暦にあたる。そんな歳に、神号額が戻ってきたことは、大変めでたいと、神職の奥様も話されていた。

 「これが出てきたんよ」とちょうど話されていたので、奥様に連絡のあった時の様子を聞いてみた。

 夜半10時半頃、春日屋のご主人から、「大変なものが出てきた」と興奮した電話が入った。

 「宝もんでも出たんね」と軽く応じていたら、なんと「神号額」のようだとのこと。

 水害復旧後には、随分探したが、もうすっかり忘れていた神額の発見。場所は元の境内が有った場所だが、なんと言っても水害復旧のため、この辺りは3m以上も埋め立てられた場所。今回は本管工事で、昔の配管を交換する作業をしていて、地下5mの場所から発見したもの。

 左の写真中央付近。

 不景気な話ばかりの昨今、こんな話を耳にすると嬉しい。この額もこのままに出来ないので、何とか現在の二の鳥居に神号額が無いので、そこに掲げたいと話されていた。(後日ちゃんと鳥居の上にかかげっれました。トップの写真をクリックしてください)

 慶巌寺の名号石も、橋の石板にされていたのを、自ら光ることで発見されて、今は慶巌寺境内に祀られている。

 今回の神号額もパワーショベルに叩かれながらも、たいした傷も無く日の目を見た。氏子の皆さんから毎日仰ぎ見られていたのが、道路の下では、よっぽど我慢が出来ず、出て来られたのかも知れないなどと、楽しいお話をして、境内を後にした。

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