太良嶽神社(藤津郡太良町)

 国道207号線で太良町の中心街に入ってきた右、海側に鎮座する。(01/25/2002)

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 由緒書きによれば、太良嶽神社の創建は第十代崇神天皇の御世と伝えられる。肥前風土記に拠れば第十二代景行天皇の御世に霊験高く、天皇は九州巡幸の折に参拝され御子日本武尊の熊襲平定に際しては神助を仰ぐために御山に参籠をして無事に大任を果たされしという。

 上の文章だと景行天皇が日本武尊を熊襲征伐に行かせたとき、天皇は太良嶽に籠もったと読めるが、景行天皇の九州行幸の際に九州の各部族、熊襲を含めて一旦は平定して都に戻って、その後、熊襲が叛いたので御子、日本武尊を使わしたと日本書紀で読んだように思うが?

 まあ、由緒書きだから良しとして読みにくいのを再度続きを読んでみよう。

 和銅二年、行基菩薩、金泉寺を建立してより紀州の熊野、豊前の英彦山と共に西国修験道場の一つとして、又、太良嶽大権現として殷賑を極めしも天正年間、兵火に罹りて灰燼に帰し天和二年、諫早藩主をして再興し国土安泰・五穀豊穣守護の直願所と定められてより再び隆昌を極め民謡「岳の新太郎さん」の物語りも此の頃のことなり。爾来幾度も修理を加えしも終に倒壊し大正十二年、太良岳跡地に仮に石祠を建て、その後、本宮建立の議起こらず適地なきため実現に至らず。

 当海岸埋立地が此処に造成されしを機に遷宮最適地として元氏神荒穂・川上の両社を合併し更に地区内出征者の英霊を配記する太良嶽本宮を建設することに決す。時に昭和四十三年七月なり。その後会を重ね昭和45年起工。同年に完工その後内外装を調え四十六年三月二十五日遷宮を行い祀り給う。

【祭神】

太良嶽神社 瓊々杵尊、五十猛命、大山祇神

元川上神社 豊玉姫尊

元荒穂神社 瓊々杵尊と由緒書に記載されているが、確か素盞嗚尊では無かったか?

靖国神    多良・糸岐・伊福地区諸英霊

<独り言>元は殺生を嫌って山に登ったと聞くが、権現様で無くなれば海辺でも構うまい。

 

06/15/2008更新

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