琴平神社(西海町) |
西海町の国道202号線をショートカットする県道43号線の峠近くにある虚空蔵山(307m)に鎮座する。(06/13/2002)
享保9(1724)年に面高郷の住人宮崎氏が初めてこの地に虚空蔵菩薩を祀り、後に嘉永5(1852)年に太田和郷中により再建された。後に明治3年の政令以降、祭神を大物主命として琴平神社となる。
【祭神】 大物主命 【創建】 享保9(1724)年 |
拝殿前の灯篭は、嘉永5年に再建されたときのもの、また石祠では年号は見つけることが出来なかったが、横目・庄屋の記載から同年に再建されたのものと思われる。
琴平神社といえば金毘羅様。ここでも祭神が大物主であることから、現在は金毘羅様と判断して良いが、そうなれば神紋は丸に金だが、石祠の紋は虚空蔵菩薩として建立したものだから、当然神紋が違うはず。紋自体はセメントのようなもので潰されてある。
このようなところからも、神社の歴史が感じられて面白い。ところでこの祠を拝見していて面白いことに気が付いた。
側面に記載された横目(惣庄屋もしくは村役人)の名前が「喜々津」と記されてある。喜々津といえば、西郷氏の時代の久山城城主の名前だ。大村藩に落ち延びたと伝えられているが、この西海町(旧大村藩)で足跡らしきものを見つけて、旧い友人にめぐり合ったような気がする。
もっとも喜々津氏が、西郷時代に「喜々津」を名乗っていたのかは疑問はある。(久山城に記載)