二本木神社(島原市)

 有明町から島原市内に入って中尾川を越えて1km程先を左折する。地図(04/29/2002)

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 龍造寺氏は古くから佐賀城を居城とし周辺を領地していた。隆信公になってから肥前国を制圧して、やがて島津氏と九州の覇を競った。天正12(1584)年3月隆信公は約5万8千の兵を率いて有馬・島津の連合軍を征服しようと島原半島遠征を企てた。

【祭神】 

龍造寺隆信公

【創建】 天正12(1584)年の島原半島遠征時に倒れた隆信公の遺臣のうち、この地に住み着いた者たちが祀ったのが始まりとされる。

 海路より神代(国見町)に上陸し三会(島原市)に進出した。同24日に両軍は激闘を繰り返したが沖田畷(おきたなわて)において隆信公は、あっけなく倒れた。隆信公に優秀な斥候が居てこの一帯の地勢を熟知していたら決して大軍をこのような沼地の中の一本道には入れないと思うのだが隆信公のあっけない最後を惜しむ感傷に過ぎないのかもしれない。

 二本木神社から諌早方向に少し戻ると隆信公の供養塔が残る。

 二本木様と呼ばれ祀られたこの神社は病除けの神とされている。現在の社殿等は龍造寺の後をとった鍋島公の寄進によるという。

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