鹿島神社(長崎市三ツ山町)

 長崎バイパスに入らずに川平町を畦別当に向かう途中。六枚板のバス停から右手に入る。市が不法投棄の防止の為にチェーンの施設が有る道を登って右手に鳥居がある。(05/12/2008)

拝殿前Mapion

【祭神】健御雷之男命

【創建】安政2年(1855) 明治2年9月13日に村社加列される。

鳥居 長い参道

 明治39年4月13日建立の鳥居の奥には長い急坂の参道がある。上り切ると平坦になり杉木立の中を進む。拝殿の奥の宝殿は一尺四方の石祠神殿。

 長崎市と合併する前の西彼杵郡西浦上村の五村社の内の一柱。当時の木場郷と川平郷の境に祀られていた。

 当時の住所表記は西彼杵郡西浦上村川平郷1676番地。例祭は陰暦の9月13日に執り行われており氏子百七十余で神官は隣村の大草村の高以良清作氏で有った。

【西浦上村について】

 正平18年、応安5年の一揆の連判状に浦上村地頭等の名前が出てくるが領主の名前は出てこない。また、いつ頃から公地になったのかも文献に残っていないという。ただ慶長10年(1605)に公地(天領と言っても良いか?)から替地の為、大村藩領と成った。

 明治維新後は十五大区二の小区浦上村西となり、山里村・時津村・長与村と同様に山里村に役所を置いて管轄。

 明治12年に管轄移動し村の東西両部に役所を置き、17年に合併して西浦上村となった。当時の郷は、木場・三組河内・川平・家野・東北・西北・西・岩屋・滑石の各郷で有った。

 昭和13年に長崎市に編入。

【付近の地名など】

・食場(じきば)・力場(バス停に名が残る)

 川平郷中組にある。大村藩主が長崎から大村へ帰還する途中、此処で昼食を摂ったところから食場と言い、今は訛化して力場(りきば)と言う。

・犬継(現在の木場の教会が有る辺り、バス停に名が残る)

 昔、一人の猟師が狩の帰り、この辺りで山犬に出会った。猟師は怖れて楠の木に登って難を逃れようとしたが山犬達は仲間の背に継ぐように順々に乗り猟師に迫った。猟師が山刀で払って襲ってくるので、しまいに火縄を点けて撃った。銃の火を怖れて山犬が逃げ猟師は助かった。この事から犬継(いぬつぎ)の名がついた。

・六枚板(バス停に名が残る)

 木場郷にある。昔、馬指場と帆場軍が戦ったとき、馬指場軍が敵の矢を防ぐために盾を作ろうとしたとき榎の大木が有ったと言う。その大樹から六尺板が六枚取れた事から字の名になったという。

 〜大正7年9月に編纂された西浦上村郷土誌を昭和63年に
川原竹一氏が補訂・解題した郷土史を参照した。

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