古賀八幡神社(長崎市)

 34号線の長崎市古賀町は諫早領に挟まれた天領であった。(05/21/2002)

 当社は、創建年代詳ならず、足利氏の末に及び国内乱れ、社運も日に衰徴し、切支丹宗徒のため社殿等も消失せられ、殆んど廃滅の姿に帰したりしが、豊臣秀吉の切支丹宗を禁じ、徳川家康も、その政策を継ぐに及び、島原藩主松倉豊後守重政は、神仏の再興を計り、寛永三年(一六二六)三月十二日、裳着神社及び、村内西三部落の神社を再興し、境内社地は除地の特権を与えられる此の時、肥後菊池氏の遠孫、詫森右近の将監清永に命じ、裳着神社及び、村内六処神社の神主職を授けられ、爾来代々其の職を兼帯せり。

【祭神】 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

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