水神神社(長崎市本河内町)

 蛍茶屋の一の瀬橋の手前を貯水池に向う。本河内の低部水源の下に鎮座する水神社。(06/30/2008)

水神神社の拝殿

 寛永年間、出来大工町に祠を建立し、その後の明暦年間に炉粕町に移転、元禄七年殿堂建立。享保四年から水神祭が始まったという。祭日は5月29日。

水神神社の鳥居 水神神社の束額

 元文四年、水源の涵養と河海の災害とを祓う趣旨で社地を八幡町倉田水樋の水源である銭屋川の畔に社殿を移転した。やがて大正九年十一月、社地周辺に人家が密集し神域として不適当となり水道の水源である現在地に移転した。

水神神社の参道橋 水神神社の参道橋

 この水神神社の社家は現在も渋江家が勤めているが、渋江家は、その昔、河童族を統率していた栗隈王(くりくまおう)の家柄であったといい 河童たちも渋江家には逆らわなかったという。渋江家は河童達を招いて酒宴を開くとき、自分には柔らかい筍をm河童達には硬い竹を煮た物を出して、河童達に人間の歯の強さを見せた等の話が伝わっている。

 しまった、どんく石の写真を撮り忘れた。

 参道橋が架かる掘割は水源地の吐水口だと聞いていたが、レンガアーチの坑道内には配管が施され用途は未確認。石のアーチの化粧の上には、西山ダム河川公園にも有る伊藤男爵の額が掛けられている。

 【祭神】彌都波能賣大神 【相殿】天御中主命、国狭槌命、豊玉彦命、豊玉姫命、速秋津彦神、速秋津姫神、気吹戸主命、大海別姫命、大海別子命

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