住吉神社(長崎市住吉町)

 路面電車の住吉電停から東のアーケードを抜けた所に住吉公園があり、その先に鎮座する繁華街の神社だ。(05/12/2008)

拝殿前Mapion

【祭神】底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命

【創建】寛永2年(1625)修験所轄住吉大明神として創建し明治2年9月11日に村社加列され住吉神社となる。

拝殿前の楠 拝殿前の被爆狛犬

 爆心地から2,100m離れているが原爆により拝殿・社務所は倒壊した。その時に、この狛犬は左足が掛けたものの無事に残っていたと言う。

 長崎市と合併する前の西彼杵郡西浦上村の五村社の内の一柱。当時の東北郷に祀られていた。

 当時の住所表記は西彼杵郡西浦上村東北郷303番地。例祭は陰暦の9月11日に執り行われており氏子百七十五戸で神官は隣村の大草村の高以良清作氏で有った。

【西浦上村について】

 正平18年、応安5年の一揆の連判状に浦上村地頭等の名前が出てくるが領主の名前は出てこない。また、いつ頃から公地になったのかも文献に残っていないという。ただ慶長10年(1605)に公地(天領と言っても良いか?)から替地の為、大村藩領と成った。

 明治維新後は十五大区二の小区浦上村西となり、山里村・時津村・長与村と同様に山里村に役所を置いて管轄。

 明治12年に管轄移動し村の東西両部に役所を置き、17年に合併して西浦上村となった。当時の郷は、木場・三組河内・川平・家野・東北・西北・西・岩屋・滑石の各郷で有った。

 昭和13年に長崎市に編入。

 〜大正7年9月に編纂された西浦上村郷土誌を昭和63年に
川原竹一氏が補訂・解題した郷土史を参照した。

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