平戸市的山大島を訪ねて

 平戸本島の北に浮かぶ度島・的山大島のうち、永く長崎県唯一の村であった的山大島を訪ねた。平戸市と合併してから来るチャンスが無かったんです。(09/14/2007)

平戸の発券所

 まずは腹ごしらえ、フェリーの発券所の隣、井元旅館の食事処でレモンステーキ定食(735円)を頂く。この井元旅館は平戸に出張するときの私の定宿。けして綺麗な旅館ではないがビジネスホテルとは違って家庭的なサービスが気に入っている。これで温泉があれば文句は無いのだが。さてさて、昼前に入港していた第二フェリー大島に、そろそろ乗船しなくては。

 フェリーは199トンの結構大きな船。4m未満の軽なら往復4,800円で運転者込みで的山大島に渡れる。島内にはレンタカー等は皆無だから、車かバイクを持ち込むのが便利。12;40出向のフェリーは神浦港に定刻13:20に到着。わずか40分の船旅。到着後車を走らせて用件を済ませる。帰りは16:30的山港発の船になる。実質2時間の観光。

 的山大島にやってきたら、神浦の町並みを歩いて欲しい。優に100年を超える歴史ある町並みは歩いていて楽しい。軒下には現役でノップ碍子の配線が見られる。これでさえ30年前には無くなってしまった工法。基礎には石の平積みも見られる。そんな家は築100年は超えている。また平戸市と合併するまで半世紀も交通死亡事故ゼロの記録を持っていたのだが、今年の夏に死亡事故ゼロ2万日の記録目前に事故が起こってしまったのが辛い。

 なにはともあれ、自分が事故を起こしてはいけないので神浦の天降神社に安全祈願の参拝。万寿2年(1,025年)創建といわれる古社には、享保2年(1,717年)に藩主松浦肥前守隆信が寄進した肥前の鳥居に類似した立派な鳥居が石段の上にある。

 天降神社の下には、勘定場の井戸があるが、その先には同じく井元鯨組が寄進した真教寺の六角井戸もある。この六角井戸は写真で判るように、今でも現役でホームポンプまで取り付けられて頑張っています。今日は資料館が開いてなかったので、そのまま丘の上に上がった所にあるのが「いさりびの里 漁火館」島内では一番良い宿泊施設。(本当は多目的研修館?)温泉も有るから一度泊まってみたいんだが、なかなかチャンスが無い。

漁火館

 いさりびの里の下から町道経由で県道に出る。阿弥陀堂を過ぎて、天ノ原に向かう。東に長崎鼻の灯台も見える絶景ポイント。下まで降りるには四駆じゃないと厳しい。もちろんジムニーはらくらくとクリア。

 そろそろ時間が気になりだしたので平の辻農村公園に寄って的山港に向かう。港の西側にある朝鮮井戸を見てみよう。遣唐使の時代から使われていた港の井戸は海岸にも関わらず塩分は無い。そして今回手前の小川が気になって降りてみた。

 港側はヒューム管が入っているが、山側の半間幅は石桁橋が残っている。井戸に向かう道は、もともとこの半間幅の道だったのではないだろうか?

 遣唐使や元寇・倭寇の中世の歴史が残る的山大島を16:30発の第二フェリー大島で後にした。

長崎県平戸市崎方町873
井元旅館
0950-22-2719

*肥前の鳥居に類似したとは。

 笠木、貫、柱が全て3分割されたものが本来の肥前の鳥居。長崎県内で肥前の鳥居として文化財登録を受けているもののうち多くが、この柱が2分割になっているもの。平戸藩のエリアに鎮信鳥居として建てられたものも多いが、小値賀の地の神島神社に建立された寛文6年(1666年)に建立されたものは笠木、貫、柱ともに3分割である。一言申し添えたいのは、総3分割の肥前の鳥居が高級で、そうでないものは価値が低いなどとは考えていない。たんなる分類の一つのチェックポイントに過ぎない。

12/06/2008漁火館のリンクを変更

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