生月島を訪ねて

 随分前に「だんじく様」を訪ねたが、その後なかなか生月島を訪ねることが無かった。いや来てはいたのだが、仕事ばかりでバタバタして、周りを見る余裕が無かったのが実態。(12/15/2008)

 平戸本島の主師の峠から生月の島が見える。生月大橋を渡って館浦にはいる。上五島の奈良尾と共に西日本の遠洋漁業有数の母港であったが今は寂しい。漁港の外れに魚藍観音の大きな姿が見える。

 その右手の海側に鎮座する姫神社は正保二(1645)年の創建と伝えられる。参道には元県知事金子岩三氏が奉納した階段があった。そういえば平戸・生月といえば金子水産の本拠地だ。

 さらに海岸沿いの道を走り壱部崎浦に入って旧生月町役場の先で住吉神社に立ち寄り、寛永年間に大きな勢力を誇った益冨組の三代当主が隠居して益冨中左衛門正昭として、わざわざ瀬戸内海から花崗岩を取り寄せて建立した鳥居を見学。この鳥居は文化財の指定を受けていた。

 生月島の狭隘部にでて、西海岸で塩俵の断崖にむかう。 「塩俵いこいの広場」の展望台から北側の海岸を眺めると、玄海灘の荒波に洗われてできた、雄大な亀の甲模様の玄武岩の柱状節理が一望できる。

 この下まで行ける遊歩道もあるが本日はパス。

 この先には、捕鯨納屋場跡・御崎海浜公園がある。住吉神社に鳥居を奉納した益冨組が築いた捕鯨加工の一大基地が築かれた場所。今は埋め立てられて何の変哲も無い小さな漁港の姿。

 キャンプ場の方を振り返れば生月新四国霊場の観音様が鎮座する。その脇の地蔵尊との間には石の桁橋があった。

 生月島の最北端、大碆(大バエ)灯台までやってきた。沖には浮き瀬、その先には鯨島、そして的山(あづち)大島が望める。的山大島の右手には度(たく)島と、漢字検定に出てきそうな難読地名が続く。

 振り返れば、番岳の美しい姿が見える。名前から押して遠見番所や狼煙台が置かれていたのだろう。いまでは中腹までは車で上がれるが、山頂の様子はどうなっているのだろう?

 この番岳の手前に、宝倉神社が鎮座する。海辺にある神社の道路上は公園整備されて、今風の河童が住んでる公園がある。この河童、本来は神社の下にある池(沼?)に住んでいる99匹の河童の代表かな?

 池は石の堤防が築かれているが、この堤防を築いたのは河童で、どんな大波が来ても堤防の石は崩れなかったという。今の堤防は人間が作った様なので、そこまで神通力は効かないかな?

 空気が澄んでいれば五島が見えるサンセット通りを走って、石原橋展望所を過ぎると長瀬の鼻にでる。鼻くぐりは見えないが、長瀬の灯台まで行って見よう。

 この灯台、旧海軍の施設の跡に出来た灯台だが、案内看板によれば「月に向かって飛行するロケット」をイメージして作ったそうだが、どう見てもそうは見えない。

 久方ぶりに時間が取れたので、ざっと生月島を巡って見た。今度は町並みをゆっくり見て回るかな。

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